内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

なんでもあり、好きにやっていいよ ― 与えられた自由を善用する若者たちの真剣さに未来への希望を託す

2019-01-28 23:59:59 | 講義の余白から

 学部最終学年三年生の後期も、前期同様、三科目担当している。「日本文明文化」、「近代日本の歴史と社会」、「古典文学」の三つ。
 「日本文明文化」は、日本語での授業なので、内容的にはとてもやさしい。おおよそ中学校の教科書程度。この授業では、文字資料ではなく、最近の邦画を素材することが多いので、学生たちも楽しそうに視聴している。
 他の二つについては、学部最後の学期だし、卒論もないから、なにか彼らの三年間の勉強の総決算になるような成果を提出してほしいと思った。とはいえ、他の科目の課題も大変なことはこっちもわかっている。そこで、熟慮(した振り?)の末、「自分で好きにテーマを選んで、それについて好きなだけ書いてくれ」という課題にした(これでも課題と言えるのだろうか?)。
 先週学生たちに授業でそう伝えたところ、「はぁ~?」というのが彼らのファースト・リアクションであった。想定内である。とはいえ、さすがに「何でもOK」というわけにはいかない。「近代日本の歴史と社会」については、「日本固有の近代化とは?」という問いに何らかの仕方で答えることという条件を課した。「古典文学」については、日本の古典文学となんらかの明確な「繋がり」があるテーマを選ぶことという「しばり」がある。(これでは「しばり」になっていないという意見もある)。
 毎週の授業で私は様々な話題について話す。その準備は入念にする。それらはあくまで学生たちの課題遂行のための参考資料としてである。授業でやったことを覚えてきて、試験で吐き出すという、彼らがこれまで十分に経験してきた学習とは違った勉強をしてほしいのである。
 課題を提示したその日に、「古典文学」の課題に対するプランと参考文献表を早速送ってきた学生がいた。これにはちょっと驚いた。彼にはすでに温めていたテーマがあったのだ。だから、私の提案は彼にとってまさに願ったり叶ったりだったというわけである。一言で言うと、「文楽の歴史と現在、その伝統と革新」というテーマである。
 しかし、テーマは自由に選んでよいと言われると、迷ってしまってなかなか決められない学生も一人や二人ではない。それでいい。そこがスタートなのだ。メールでテーマについて私の意見を求めてくる学生もいる。それにはもちろん個別に答える。今の段階では、まだテーマが確定している学生は少いが、全体の印象として、自由を与えられて、自ら真剣に考えているようである。
 授業では、ヒントになりそうな参考文献を毎回紹介している。日本語文献を読みこなす力は彼らにはまだないが、仏語の文献は自分で探せるのだから、主に最近の日本語の文献を紹介している。問題設定の緒にでもなればと願ってのことである。仏語の文献を紹介する場合は、彼らの守備範囲には入ってこないであろう分野(西洋中世哲学とか比較神話学とか科学技術史とか)の文献を紹介している。
 学生たちは「なんで?」って顔している。しかし、考えるヒントは思わぬところに見つかるものなのだよ、諸君。