内的自己対話-川の畔のささめごと

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「近代ヨーロッパ」の陰に隠された非キリスト教的ヨーロッパはどこに見出されるか

2024-06-23 04:17:29 | 読游摘録

 煉獄の観念がキリスト教世界において成立する以前と以後の違いについて、阿部謹也の『西洋中世の罪と罰』(講談社学術文庫、2012年、原本1989年、弘文堂)から関連箇所を摘録する。

煉獄の観念が成立する以前においては、死後の人間が行く場所は天国か地獄のいずれかでしかなかった。教義に基づいていえば、キリスト教信者にとっては亡霊や幽霊は存在しないことになるのである。

『黄金伝説』や中世の説話集などにおいては、死後の人間の運命が明瞭なかたちで説かれていた。現世においてなした善行や悪行に基づいて、死後審判が行われ、善人は天国へ悪人は地獄にいくという構図ができあがっていた。しかし中世都市の台頭と商業経済の復興のなかで利子の問題が浮上し、利子を全面的に禁止することが不可能となった状況のなかで、煉獄の構想が生まれている。もとよりル・ゴフが明瞭に述べているように、煉獄の構想それ自体はかなり古くからあったのだが、十二世紀に最終的に煉獄のイメージが定着することになる。このころから、すでにみたように死後、煉獄で苦しむ死者のイメージがあらゆる文献に現れ出し、死者は常に生者に対して救いを求める哀れな姿で登場する。

 ここで阿部が参照しているのがル=ゴフの『煉獄の誕生』であるのは言うまでもなかろう。
 カロリング・ルネサンス期にキリスト教会は国家権力と結びついて、民間信仰の世界に激しい攻撃を加える。しかし、それにもかかわらず、死者に対する古来ゲルマン的な考え方は消え去ってしまうことはなかった。それを示す民話、民謡、口承伝承には枚挙にいとまがないほどで、『西洋中世の罪と罰』のなかにもいくつか紹介されている。そのうえで阿部はこう述べている。

話の本質にはキリスト教は何の関係もなく、古ゲルマン以来の伝承が口頭伝承の形で今日まで伝えられたものと考えられる。「アイスランド・サガ」からこれらの話へと続く死者のイメージの群れと、天国・地獄・煉獄のなかで生まれた哀れな亡霊のイメージの群れとの間には大きな隔たりがあり、両者の関係についてもこれまでのところまったく説明されてはこなかった。

 煉獄の公認による中世キリスト教世界における宗教的世界観の変化、その変化と社会経済の構造的変化との不可分の関係、それらの変化にもかかわらず生き残った非キリスト教的民間伝承のなかの死者のイメージを重層的に捉えるとき、いわゆる近代ヨーロッパの陰に隠された非キリスト教的ヨーロッパを垣間見ることができる。
 『西洋中世の罪と罰』の最終章第七章「生き続ける死者たち」の最後の段落を全文引く。

「贖罪規定書」にみられるような教会による日常生活への厳しい介入は、公的な部分でのヨーロッパを形成するのに大きな力をもっていた。それがなかったら今日のヨーロッパはありえなかったであろう。ヨーロッパにおいては教会に代表される力が世俗権力と結んで圧倒的な力をもち、個々人の生活にも介入しながら国家や教会が団体としての人間ではなく、個人としての人間を捉えようとしたてんにヨーロッパ社会の独自な性格が生まれる最大の原因があった。その意味で、一二一五年の告解の強制はヨーロッパ史のなかで重要な一歩だったのである。上から強制されるという形をとりながらも、ヨーロッパではそのとき以来個人の人格が認められ、共同体と個人の間に一線が画されたからである。以上のような観察は、わが国の歴史をふりかえるときのひとつの参考になるであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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