内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

行為の系列の生成 ― ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトクライス』(一)

2017-01-15 23:50:17 | 読游摘録

 昨日まで五回に渡って摘録してきたヴァイツゼッカー『生命と主体』と同時に2001年12月に購入した『ゲシュタルトクライス』(みすず書房、新装版、1995年)は、今版元品切で、アマゾンでは古本に五万円近い法外な値が付けられている。ずっと売らずに持っていてよかったと安堵する。拙ブログで取り上げたくらいでは、大海に一滴ほどの力にもなりはしないが、近い将来に妥当な価格で再刊されることを期待したい。仏訳の再刊も期待したいところだが、まず無理であろう。古本市場に出回るのを気長に待つことにする。
 『ゲシュタルトクライス』の最終章第五章はまさに「ゲシュタルトクライス」と題され、それまでの章で展開されてきた神経生理学的研究に裏づけられた知見を基に、ゲシュタルトクライスそのものが考察の対象となっている。同章は三節に分かれているが、その第三節「パトス的範疇、根拠関係、生の円環」は同書の結論部に相当する。今日から数回に渡って、私自身の問題関心にしたがって同節からの摘録を行う。

われわれは、いくつもの行為の連結に際してそれらの行為の結びつきをどう理解すればよいのか、という問題を背負った研究の途上に依然としてとどまっているのである。個々の行為がそれ自体において有している統一性が証明された以上、この結びつき、つまり行為の系列の生成が問題となり、主体の統一ということもこの問題の解決如何にかかっている。あらゆるゲシュタルト形成の統一的な生成が諸行為の継続の中で理解されるとするならば、それはまたゲシュタルトクライス原理の裏付けともなるだろう。心と物的自然との何らかの意味で単に外面的な二元論にかわって、ゲシュタルトクライスとして理解された生物学的行為の中にこそ、真のそして内的な統一性の実例が与えられることになるだろう。(288‐289頁)

 ここを読んだだけでも、ゲシュタルトクライスが行為的連関の有機的一元論の根本概念であることがわかる。