内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

真理は汝らに自由を得さすべし ― 時を超えて響く真の言葉

2017-01-04 11:12:42 | 雑感

 今回の帰国中に蔵書を整理していて、白い扉が付いた作り付けの戸棚の中から、ガラスで保護された額に入った一枚の色紙とその色紙に揮毫された方の写真が入ったやはりガラス張りの額が出てきた。その色紙に記された言葉は、「真理は汝らに自由を得さすべし」。新約聖書ヨハネによる福音書第八章三十二節の後半部である。万年筆で三行に分かち書きされたこの言葉のすぐ左脇に「一九六七・一・一六」と日付が、そしてその左脇に「滝澤克己」と署名がある。哲学者・キリスト教神学者、滝澤克己先生(1909-1984)である。
 どうして私がこの色紙と先生のお写真を持っているかというと、今から三十年近く前、それまで長いこと、そしてそれ以降も、母はその葬儀・納骨まで、妹夫婦と私自身は今もなお、大変お世話になっている牧師先生(今はもう教会の牧師ではない)が、二十年牧会された教会を去るにあたって、当時哲学科学部生であった私に、「これは君が持っていたらいいだろう」と、先生の蔵書の一部と一緒にくださったからである。滝澤先生は、その牧師先生にとって掛け替えのない生涯の師の一人であった、いや、今もそうである。
 私は、残念ながら、滝澤先生の謦咳に接する機会に恵まれなかったが、牧師先生からは度々滝澤先生についてのお話を伺い、滝澤先生に畏敬の念を懐き、一時期その著作を熱心に読んだ。その色紙とお写真は、フランスに留学するまで私の勉強部屋の机のほぼ正面、机上の書物から顔を上げれば視界に入る位置に掛けられてあった。
 その色紙とお写真をくださった先生も昨年八十を迎えられた。その先生が、脚が若干ご不自由であるにもかかわらず、横浜のお宅から、昨晩、私が滞在する東京世田谷の元実家まで私に会いに来てくださった。数時間、夕餉を囲みながら、ここ数年取り組んでいらっしゃる岐阜の山奥での新しい村作りについて、妹夫婦とお話を伺った。八十を超えられてなお、というよりも、むしろますます、基本に忠実に、そして自由に、人と人との繋がりからなる生きたコミュニティの創生に取り組まれている先生の話を聴きながら、生涯の師たちから受け継いだ教えを守り続ける先生の精神の衰えを知らぬ躍動を嬉しく思うと同時に、それに引き換え私自身は一体何をやっているのかと自問せざるを得なかった。
 「真理は汝らに自由を得さすべし」(ἡ ἀλήθεια ἐλευθερώσει ὑμᾶς)。真理とは、それによって人を裁くものではなく、私たちの思考と生活を、それらを拘束し不自由にしている様々な桎梏・苦悩・不安から解放するものでなくてはならないであろう。
 五十年前に師の師によって記された新約聖書の言葉に期せずして二十年振りに「再会」し、その言葉の記された色紙を私にくださった師の昨晩の来訪によってこの冬の日本滞在が締め括られようとしていることは、私にはただの偶然とは思えない。