朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

初めての繁昌亭

2008年01月01日 15時11分15秒 | 落語・講談・お笑い
28日まで仕事で、29日の朝家を出て東京駅へ。
けっこう駅に早く着いてしまった。指定席をとるに及ばなかったかも。

朝食時に少し飲んでしまったので、新幹線内では熟睡。
これはこれで快い。

京都で少し時間をつぶして、京阪で天満橋。
京阪の特急も、停車駅が増えている。
JRと京阪間のスピードでは競争できないからなあ。

歩いて繁昌亭へ。天満橋からだと15分くらい。
前売で買った客と、当日券や優待券の客とを分けて並ばせて、
前売の客から入場させているのだが、どうもスムーズでない。
不慣れな訳ではないと思うのだが…。

会場はほどほどの客席数で、見やすくて良い。
ただ、その良い雰囲気に合わないのが、開演前のアナウンス。
関西弁が変(抑揚つけ過ぎ)で、こっ恥ずかしい。
上方落語を聞かせる小屋で、どうにかならんのか。

で、「艶笑落語」の会なのだが、
それを前提にしていない客がけっこう多かった感じがする。
そこは少し、枝三郎にはしんどかったかも。
小咄を入れつつ、探り探りやっていた。
「もうやらないと思うので」と言っていたが、
自分の普通の独演会で、
仲入後に1席入れる(子供は、それまでに帰ってもらう)と
いった感じでできないかな、と思った。
同じ人で、1日複数艶笑ネタをやるのは、
演じる側、聞く側とも飽きると思うし。

そんなことを感じつつ、
また変な関西弁のアナウンスに失笑しながら帰っていった。
…もったいないなあ。



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以下、初めて「紀州飛脚」を見ての、非常に個人的なメモ。
ネタバレあり。
ただ、ネタを知らない人には、何のことか分からないかも知れない(笑)

・「尻からげしない」ところについて
 「ふんどしをしていないから」と答えて、
 後で「ふんどししていても、のぞきまんねん」と持っていく。
 (「定本艶笑落語」の速記(確か、圓都)もそうやっていた)
 でも、最初に「のぞきまんねん」と言っておいて、
 「ふんどししても、のぞきまんねん」とした方が、
 私の考えている「大きいことを、必ずしも喜んでいない」ことには
 合うと思う。

・「風呂に入るとき」「三味線弾く」等なし。
 まあ、この男に嫁さんがいる、という設定を入れるのはイマイチなので、
 「三味線弾く」はなくて良い。
 個人的には、「ドブン、ドブン、ドッポーン」は好きなので、
 入れて欲しかったが。

・走るときは、扇子を広げて振っていた。
 ただ、膝隠しの陰で見づらい。
 今日は芝居がかりがあるので、見台膝隠しなし、という訳にはいかないが、
 例えば膝立ちになるとか、工夫があった方が良い。

・振りながら小便をするのはどうかなあ。
 自分にかかるのでは?
 どちらかに寄せた方が良い。

・子狐の「悪い奴なあ」は普通。
 親狐が、他の狐も呼んで聞いていくところは、
 少しダレた。(意図的かも知れないが)
 「みんなでイーする」とか、
 別に入れなくても良いと思う。

・芝居がかりの部分は、もう少しいろいろやってもいいかも。
 特に、御殿に入って御簾が上がるまでの部分に入れても良いと思う。

・這うときの手の動きも、膝隠しが邪魔になる。
 「おごろもち」みたいに、見台の上で手を動かすのも手か。

・手の行き先は、見た方がいいのかなあ。
 指だけで「入口がない」とか「横だ縦だ」とやるのはやり過ぎ、と判断すれば、
 確かに見た方が良いのかも知れない。
 子狐の口や突っ込まれた時の表情もあっさりやっていた。

全体的には、あまり突っ込まず、きっちり演っていた感じ。

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新聞をどこまで信頼するのか

2008年01月01日 11時25分12秒 | 社会
朝日新聞の「読者信頼度」が3位に転落(ファクタ) - goo ニュース

まあ、実際には30代で「日経」「読売」に負けた、という程度の
ことらしいが。

全国民が同じ新聞を読んで、その内容を肯定的にとらえるためには、
ある程度同じ価値観をベースに持っている必要があるだろう。
しかし、今はそんな時代ではないと思う。

上位層は現体制を肯定的にとらえる新聞を読むし、
下位層は自分たちの不満を代弁してくれる新聞を読む。
場合によっては、不満を外に向けさせてくれる自慰的な新聞を読む。

「朝日」の記者もしょせんエリートであり、
「不満を代弁してくれる」存在でない、とバレれば、
下位層からの支持は下がってくるだろう。

ただ、今後は「新聞を読む」という行為そのものが、
今よりさらに一般的な行為でなくなるのではないか。
下位層は「不満を個々に代弁してくれない」と感じると、
「新聞」のようなマスメディアではなく、
個別に掬ってくれるメディアを利用する方向に流れると思う。
その状況の中で、朝日新聞がどのような路線に進んでいくか、と
見ていくべきだろう。

# まあ、いずれにせよ、新聞社もしょせんは儲けてナンボの商売なんだから、
 信頼する/しないを論じても仕方がないと思うのだが。
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