城郭探訪

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隠岐城 近江国(甲賀)

2014年05月31日 | 居城

「近江守護佐々木秀義五男佐々木五郎隠岐判官義清城跡。元弘年中義清十一世孫佐々木兵庫頭清三再城跡。 義清領地故隠岐村名付山下一円門之内云々。」
                               ー 城跡に立つ大岡寺石柱裏の碑文 ー

所在地:滋賀県甲賀市甲賀町隠岐字門ノ内(大岡寺)  map:http://yahoo.jp/472LQc

遺 構:郭、土塁、櫓台、空堀

現 状:寺地、山林

区 分:丘陵城

城 主:近江守護佐々木秀義五男佐々木五郎隠岐判官義清城跡。元弘年中義清十一世孫佐々木兵庫頭清三再城跡。
                               ー 城跡に立つ大岡寺石柱裏の碑文 ー

標 高:207m   比高差:20m

目 標:大岡寺

駐車場:大岡寺境内

訪城日:2014.5.27 

佐治川の北岸の舌状部に築かれた隠岐城は、周囲の田圃との、比高差10m~30m。

隠岐支城群は佐治川の対岸に密集している、

歴 史

『甲賀郡志』によれと、城主は隠岐氏とある

隠岐家は、甲賀二十一家は、甲賀五十三家の中でも六角氏より感状を貰うほど信頼の厚かった二十一家の1つ。後の甲賀流忍術の中心となった家々である。

「近江守護佐々木秀義五男佐々木五郎隠岐判官義清城跡。元弘年中義清十一世孫佐々木兵庫頭清三再城跡。義清領地故隠岐村名付山下一円門之内云々。」
                               ー 城跡に立つ大岡寺石柱裏の碑文 ー

 佐々木秀義(本名 源資長)は源為義の猶子。平治の乱後、近江佐々木庄領家・預所職を没官され、奥州藤原秀衡を頼り東下するも途中秀義の武勇に惚れていた相模渋谷庄司重国に引き留められ娘婿となる。子息たちも宇都宮朝綱・渋谷重国・大庭景親などの豪族級東国武士の娘婿になった。

佐々木義清の子孫は隠岐・出雲の守護職を世襲し、鎌倉幕府の有力御家人として地歩を固めた。義清孫の秦清の子息のとき義清流佐々木氏は二流に別れ、次男時清は隠岐守護職を継承し隠岐佐々木の祖となり、三男頼秦は出雲守護職を継承し塩冶氏の祖となった。
元弘年中(1331~33)といえば南北朝期であろうか、清三が城として再び要害化したようだ。

北近江半国守護京極氏の重臣たる隠岐氏の城跡は、今は寺院になっており、僅かに全面に残る土塁の残片と削平地のたたづまいが当時を偲ばせている。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、淡海の城

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横関館 近江国(甲良)

2014年05月31日 | 居館

慰霊碑

 

甲良:正楽寺の勝楽寺に石田三成に使えた横関三河守の墓碑が残る。

 

 

勝楽寺山城の麓の勝楽寺は、佐々木道誉が晩年を過ごした寺で、お墓もあるが赤報隊に燃やされた歴史がある。

また石田三成に使えた横関三河守の墓も今に伝わっている。

佐々木道誉の屋敷は麓に広がり、その跡地には、御舘、舞台などの石碑が建っている。

勝楽寺山城は、寺の裏山に高築豊後守が築いたもので、湖東平野を一望できる要地。登城途中にお稲荷さまがあるが、謡曲『狐釣』の舞台として、お稲荷さまが祀られています。

所在地:犬上郡甲良町横関    map:http://yahoo.jp/zhSZlW

現 状:宅地、寺領

遺 構:供養塔、堀跡(せせらぎ用水路)

区 分:居館

築城期:豊織期

築城者:横関氏

訪城日:2014.5.28

歴 史

 領主であった横関三河守が、関ケ原の合戦で石田三成方についたため、徳川軍に追討され、逃げのびる際、里人に預けられた観音様。

 里人は十八日講を作り観音堂を守ってきた。甲良町の横関の地域の特産品として開発した清酒「夢かんのん」は、甲良町で収穫される良質の米を使い、横関三河守の子孫が経営する長野県松本市の醸造会社が醸した純米酒という。

 

横関観音堂(背後より)

隣には地名になっている「横関三河守正資」公供養塔があります。

 

証得寺:菩提寺カ?

八幡神社 :犬上郡甲良町横関

御祭神 應神天皇 甲良親王
 
御神紋 左三ツ巴
 
御由緒
創祀年代不詳。
社伝によれば横関三河守正資此所に居城する頃氏神として勧請した。明治44年郷社甲良神社に合祀。昭和22年旧来に復した。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城

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平子館 近江国(甲賀・土山)

2014年05月31日 | 居館

 

所在地:滋賀県甲賀市土山町平子小字森添(津嶋神社)

  map:http://yahoo.jp/DxzcV6

区 分:居館

遺構:土塁

築城期:

築城者:

目標地:津嶋神社

訪城日:2014.5.27  

 平子館は、平子地区北西部にある天秀寺隣りにある津島神社から東側の平子地区集会所までの一帯にあったと比定され、   

 神社境内右手に低い土塁(下部が後世の石積み)    

歴  史  

詳細不明。

   津嶋神社と天秀寺一帯が館跡と見られている。

 津嶋神社の東側にわずかに空堀跡と見られる窪んだ地形が残っている。

西端の残された土塁

  

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、淡海の城

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青龍山(せいりゅうやま)砦 近江国(多賀)

2014年05月31日 | 

お城のデータ

所在地:犬上郡多賀町敏満寺  map:http://yahoo.jp/UcC2tw

区 分:山城(砦)

現 状:山林、胡宮神宮磐座(奥ノ院)

遺 構:曲輪、土塁、岩土塁、虎口、茀土塁、櫓台、

標 高:312m    比高差130m

築城期:

築城者:

訪城日:2014.5.27

お城の概要

 幹線道路や集落にほど近い山で胡宮神社の磐座が山頂に鎮座する。近年参道(ハイキングコース風)再整備さて比高130mも、東側の伐採・植樹で多賀町の全容の眺望が望む。遺構は山頂部に小規模に残る。縄張は「く」の字形をしていて、北西部は周囲に土塁をめぐらし、北方に虎口、中心に櫓台程度の盛りあがりが確認できる。しかし相当風化していて判りづらい。南東の削平地の先端には物見岩らしき遺構が残る。

歴  史

織田信長に抵抗する浅井氏や六角氏の残党と連携した宗門一揆衆が立て籠もったという伝承があるが、詳細は不明である。 敏満寺城の城域は西山麓の胡宮神社まで、南1kmには勝楽寺城があり、こうした城に何らかの関係があったことは間違いなさそうである。敏満寺城の詰め城カ!

近年参道(ハイキングコース風)再整備され、 

道路両側に、駐車5~6台可! 登り口:http://yahoo.jp/YmroWg

 

 

 

 

 

 

 

頂部 城域へ 

尾根の北端に、南北50m、東西30mの曲輪がある。曲輪周囲には高さ1mほどの土塁が築かれた単郭の城である。
 曲輪の北側には食い違い虎口が明瞭に残っている。南側にも虎口があるが、こちらは平虎口で、北に大手を開いていたのではないかと考えられる。

 

主郭の虎口 

胡宮神社の磐座

下山

親切階段は380段+旧30段 

・・・国道307敏満寺南の交差てんより(遠望)

参考資料:

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