城郭探訪

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2018年11月26日 | お知らせ

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引き続き、愛読頂ければ幸いです。


椿関所・柳ケ瀬関所

2018年08月20日 | 関所

木陰では赤い布をつけたお地蔵さんや石仏が涼しそうに佇む。木の根の間に置かれた石仏の赤い布が少し色褪せてしまっているが、それはそれで赤一色の強さを柔げてくれているようで、また心地よいものだ。

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柳ケ瀬関所

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本日の訪問ありがとうございす。

 


栃ノ木峠・淀川の源

2018年07月23日 | 文化財

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中河内砦(秋葉神社の砦) 近江国(余呉)

2018年07月23日 | 

画像に含まれている可能性があるもの:空、木、屋外、自然

自動代替テキストはありません。

城のデータ

所在地:長浜市余呉町中河内 map:https://yahoo.jp/cQS0Gg

別 称:秋葉神社の砦(遺跡ウォーカー)

現 状:秋葉神社/山林

築城期:織豊期

築城者:

遺 構:主郭・矢倉台・堀切・帯廓・犬走り・竪堀

標 高:440m 比高差:20m

目標地:余呉町中河内バス停/本陣跡碑

駐車場:余呉町中河内バス停/本陣跡碑

訪城日:2018.7.22

画像に含まれている可能性があるもの:山、空、木、草、屋外、自然

お城の概要

北國街道(現国道365号)中河内集落の「秋葉神社が砦」である。

主郭・矢倉台・堀切・帯廓・犬走り・竪堀の遺構が綺麗に残る。

集落の神社で、草刈等されているため遺構は非常に確認できる。

お城の歴史

信長公記 巻六 元亀四年

13、刀根山合戦  刀根山の戦並に一乗谷攻破るの事

 信長公に先を越されて叱責を受けた諸将は、滝川・柴田・丹羽・蜂屋・羽柴・稲葉をはじめとして口々に信長公へ詫び言を申し上げた。しかしその中で佐久間信盛だけは、目に涙を浮かべつつ「左様に仰せられども、われらほどの家臣は中々持たれませぬぞ」と自讃混じりに抗弁した。信長公はこれを聞いてさらに怒り、「そのほう男の器量を自慢いたすが、何をもってそのように言う。片腹痛いわ」といって益々機嫌を悪くした。 信長公の読み通り、織田勢は退却する朝倉勢を追撃して多大な戦果を得ていた。信長公のもとへは追撃で得た首を持参する侍があとを絶たず、また信長公みずからも騎乗して敵勢を追った。

  敵勢は、中野河内口①と刀根山口②の二手に分かれて退却していた。織田勢はいずれを追ったものかとしばらく詮議していたが、「名のある者は、疋田・敦賀の味方城を頼りに退いていよう。されば刀根山を越え、疋田に向かうべし」との信長公の命に従い、刀根山口へ向かった。

 すると、案のごとくであった。朝倉勢は中野河内口からは雑兵を退かせ、朝倉義景以下主だった者達は刀根山から敦賀をさして退却していた。これを追尾した織田勢は刀根山の嶺で朝倉勢に追いつき、大波が浜の砂をさらうように次々と朝倉勢の首を斬獲していった。朝倉勢の中からも忠義の志厚い者たちが返しては踏みとどまって支えようとしたが、かなわずに一人二人と姿を消していった。敦賀までの十一里に及ぶ追撃戦で、討ち取られた朝倉勢の首数は三千余にのぼった。・・・云々

現余呉村から栃ノ木峠を越え越前へ入る道筋 ②現木之本町から刀根山を越え敦賀に抜ける道筋(刀根山は敦賀市刀根) 

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画像に含まれている可能性があるもの:植物、屋外、自然

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画像に含まれている可能性があるもの:雲、空、木、屋外、自然

画像に含まれている可能性があるもの:雲、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:空、木、屋外本陣跡碑

参考資料:城歩会レジュメ・『信長公記』

本日の訪問ありがとうございす。


板取関所 (越前・今庄)

2018年07月22日 | 関所

画像に含まれている可能性があるもの:屋外

 国道365で今庄に向かう途中に、「板取の宿」の標示。左手に駐車場があり、公共トイレも備わっています。
車を下りると、駐車場の入口に立派な案内板があり、「板取宿の由来」が記してあります。それによると、
 板取宿は、北国街道(東近江路)の玄関口。宏壮な門構えの板取番所がありました。間口三間(約5.4m)、奥行三間半(約6.4m)の平屋建ての棟。中には、刀・弓矢・火縄銃・具足が備えてあり、役人3人、足軽1人が常駐。宿場は、幕末において戸数53戸。うち3軒の問屋、7軒の旅籠、3軒の茶屋。その他は、継立(つぎたて)に従事する家々だったようです。
 石畳の両側に見えてくるのは、茅葺きの独特な屋根を持った古い民家。「甲造(かぶとつく)り型」と呼ばれるらしい。確かに正面から見ると、頭に被(かぶ)る兜(かぶと)のよう。今まで見たことがない珍しい形。玄関口に近寄ってみると、玄関の戸口脇に、「福井県認定証 ふくいの伝統的民家」という標示がなされていました。

 家並みを抜けると櫓(やぐら)みたいな施設があり、その手前が番所の跡でした。この櫓は、往時、この番所に併設されていたのでしょうか。としたら、見張り台のような役割を果たしていたのだろうか、と思いつつ、その櫓の上に登ってみました。

 そこからもと来た道を引き帰しました。かつては53戸あったという宿場跡も、現在は10戸ほどしかなく、旅籠や問屋などがあったところは広場になっていたり畑地になったりしています。宿場としての長い歴史に裏づけられた雰囲気に満ちていました。

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江戸時代に関所を設けた
 江戸時代には家康の子、結城秀康が入国以来関所を設けて旅人を取り締まった。

後に板取番所として、藩士が駐在した。
 番所の構造は、宏荘な門構えの内に、間口三間、奥行三間半の平屋建ての棟を設け、刀、弓矢、火縄銃、具足を備え、役人三人、足軽一人が常駐し、厳重な警備に当っていた。
 板取には幕末の頃、戸数五十三戸のうち三軒の問屋をはじめ、七軒の旅籠、三軒の茶屋のほか継立従事の家が建ち並んで賑わっていたという。

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本日の訪問ありがとうございす。


玄蕃尾城(内中尾山城)  近江国(余呉) 

2018年06月24日 | 陣城

画像に含まれている可能性があるもの:木、屋外、自然

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お城のデータ

所在地:余呉町大字柳ケ瀬小字北尾624
別 名 :内中尾城
築城期:織豊期 賤ヶ岳戦い天正11年(1583)
築城者:柴田勝家

現 状:山林
区 分:陣城
遺 構:土塁、堀、土橋、馬出虎口、八曲郭、竪堀、空堀、櫓台
城 域:
標 高:459m     比 高:220m 

目標地:玄蕃尾城下の駐車場・刀根坂峠

 国道365号(北国街道)線を柳ケ瀬から敦賀方へ走り、トンネルを抜けたところをスグに右折して林道を約2km。

駐車場:刀根地区の林道に7~8台駐車可

訪城日;2018.6.24

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虎御前山城 2 近江国(高月)

2018年06月19日 | 陣城

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お城のデータ
所在地:長浜市(旧東浅井郡)湖北町別所~虎姫町中野 map:http://yahoo.jp/jbSb8l
目標地:虎御前山公園
区 分:山城  
現 状:山林
遺 構:郭・土塁・堀・堀切・碑・説明板
築城期:織豊期 

築城者:織田氏

標 高:230m 比高差:150m 
駐車場:中腹キャンプ施設駐車場

訪城日:2018.6.17

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虎御前山城 1  近江国(高月)

2018年06月19日 | 陣城

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お城のデータ
所在地:長浜市(旧東浅井郡)湖北町別所~虎姫町中野 map:http://yahoo.jp/jbSb8l
目標地:虎御前山公園
区 分:山城  
現 状:山林
遺 構:郭・土塁・堀・堀切・碑・説明板
築城期:織豊期 

築城者:織田氏

標 高:230m 比高差:150m 
駐車場:中腹キャンプ施設駐車場

訪城日:2018.6.17

お城の概要 

虎姫町の北端にある標高約230mの山。古くは長尾(ながお)山と呼ばれていました。全山に樹林が茂り、周囲は急傾斜で自然の要砦(ようさい)を形作っています。
 戦国時代、織田信長が小谷城の浅井長政を攻めた折、最前線として虎御前城を築き、柴田勝家の陣が置かれました。信長は、3回にわたって砦を築かせていますが、砦は小谷城落城の後、すぐに壊されています。
 昔、井筒という泉のほとりに住んでいた娘が、旅の途中に知り合った、世々聞(せせらぎ)という名の若者と愛し合うようになり結婚しました。ところが、顔は人間だが体は蛇という子を一度に15人も産んでしまい、嘆き悲しんだ末に、淵に身を投げて死んでしまったといいます。娘の名を虎姫(とらひめ)といい、この山が虎御前山あるいは虎姫山と呼ばれるようになった由来と伝えられています。頂上からは、東に伊吹山、西に琵琶胡が一望できます。

 虎御前山は、長浜市中野町と長浜市湖北町河毛、湖北町別所にまたがる標高約230mの山である。戦国時代、織田信長が浅井氏の居城である小谷城を攻略するため築いた付城(陣城)として知られる。

元亀元年(1570)6月、姉川の合戦で信長軍に破れた浅井長政は、小谷城に籠城する。 信長は、横山城(長浜市石田町・堀部町、米原市朝日)に前線基地を置き、浅井氏攻略を図るが、元亀3年(1572)7月以降は小谷城包囲のため、小谷山の眼前にある虎御前山に砦を構え持久戦に備えた。 虎御前山では大規模な築城工事が行われ、木下秀吉(のちの豊臣秀吉)が城番(定番)に任命されている。
虎御前山は、四方の見通しがきく独立丘陵で、小谷城からわずか500m余りの距離に位置することから、前線基地を築くのに適していた。また、山の尾根上には古墳が点在しており、信長はこれらを巧みに生かしながら砦を構築、山全体に家臣を配置させたと考えられる。 現在の虎御前山には、麓から北へ伝多賀貞能、伝蜂屋頼隆、伝丹羽長秀、伝滝川一益、伝堀秀政、伝織田信長、伝木下秀吉、伝佐久間信盛、伝柴田勝家)の陣地跡が残る。
特に「伝堀秀政」・「伝織田信長」・「伝羽柴秀吉」は土塁や堀などの遺構が良好に残っている。

 お城の歴史

 信長公記 巻五 元亀三年 3、戦野  奇妙様御具足初に虎後

  7月19日、信長公は嫡男奇妙殿の具足初めにともない、父子そろって江北表へ出兵した。初日は赤坂に宿陣して翌日横山に至り、21日浅井氏居城小谷まで押し寄せてひばり山・虎御前山へ軍勢を上げた。そして佐久間信盛・柴田勝家・木下藤吉郎・丹羽長秀・蜂屋頼隆に命じて町口を破らせ、一支えも許さず敵を城の水場まで追い上げ、数十人を討ち取った。あとには柴田勝家・稲葉一鉄・氏家直通・安藤守就らが先手として陣を敷いた。

 次日には阿閉淡路守の籠る山本山城へ木下藤吉郎が遣わされ、山麓へ放火をはたらいた。すると城内から百余りの足軽が討って出、放火を阻止しようとしてきた。藤吉郎はあわてず、頃合を見計らって敵勢へ一斉に切りかかり、打ち崩して五十余の首を挙げた。これにより藤吉郎は信長公から多大な褒賞を受けた。
翌23日は与呉・木本にも兵を遣わし、地蔵坊(現滋賀県木之本町の浄信寺)をはじめ堂塔伽藍・名所旧跡にいたるまで一切を余さず焼き払った。
 また翌24日には草野の谷(現浅井町草野川渓谷)へ放火した。この草野近くの高山の上には大吉寺という五十余りの坊をもつ大寺があり、ここに近郷の一揆百姓が立てこもっていた。信長公はこれを攻略しようとし、日中にまず険峻な正面口を避けて山麓付近を襲わせた。そして夜になってから木下藤吉郎勢・丹羽長秀勢を後方に迂回させ、背後の山づたいに寺へ攻め上らせた。山頂に上がった織田勢は、一揆・僧俗数多を切り捨てた。

 この間琵琶湖上には打下(現高島町打下)の土豪林与次左衛門・明智光秀・猪飼野甚介・山岡景猶・馬場孫次郎・居初又二郎らが兵船を浮かべ、海津浦・塩津浦・与呉の入海に出没して敵岸を焼き払っていた。また竹生島にも船を寄せ、火矢と大筒・鉄砲をもって攻めたてた。

 これら一連の行動により、一揆というそれまで江北にはあまり例のなかった企てを起こして蜂起していた輩は、風に木の葉の散るごとくに一掃された。そして一揆勢が散り、また猛勢の織田勢が自領の田畑を薙いでゆくのをみすみす見逃してしまった浅井氏の勢力は、次第に手薄なものとなっていった。

 27日からは小谷攻囲のため虎御前山に要害が築かれはじめた。すると焦慮した浅井氏は、越前朝倉氏へ向かい「このたび河内長島の一揆が蜂起して尾濃の通路を閉ざし、信長を大いに難儀させている。この機会に朝倉殿が江北表へ出馬すれば、尾濃の人数を悉く討ち果たすことは容易である」と偽りの情報を送り、出兵を促した。

 朝倉氏ではこの偽情報を信じ、当主朝倉義景みずからが一万五千の兵を引き連れて出馬してきた。そして29日には小谷に参着したが、そこでようやく江北の戦況が聞き及んでいた情報とはまったく異なることに気付いた。一気に消沈した朝倉勢は、大嶽(原文では「大づく」)の高地へのぼって滞陣してしまった。
 このさまを目にした信長公は、足軽を使って朝倉勢を小当てに攻めさせることを命じた。すると陣中の若武者たちはそれを聞いて勇躍し、旗指物を外して山に分け入り、日ごとに二つ三つと首を取ってきた。信長公は彼らに対し、その功名の軽重に応じて十分な褒賞を与えてやったため、彼らはますます発奮して首取りに励んだ。

 そのようにして対陣が続いていたところ、8月8日になって越前勢から前波九郎兵衛吉継父子が内通してきた。信長公はこれを聞いて大いに喜び、父子へ小袖・馬および馬具一式を与えた。翌日にはさらに富田弥六長繁・戸田与次・毛屋猪介らも投降し、各々信長公より褒賞が下された。

 虎御前山の要害はほどなくして無事完成した。城郭は巧妙かつ堅牢に設計され、山上からは四方をはるか遠くまで見渡すことができ、その風光は素晴らしいものであった。ひとびとは、「かように見事な要害は見たことがない」と耳目を驚かせた。
 この要害の座敷から北を望めば浅井・朝倉勢が大嶽の山上にあって苦慮しているさまが見え、西を見ればおだやかな湖面の向こうに比叡の山並みを見渡すことができた。その比叡山はかつては尊い霊場であったが、先年山門の宗徒が逆心を企て、その自業自得により山上山下ともが灰燼に帰した。信長公が積年の憤りを散じ、存分のままに罰を下した場所であった。
 また南には志賀・唐崎・石山寺の社寺が見えた。この石山寺の本尊は遠く唐にまでその霊験を知られた観世音菩薩であり、その昔紫式部もこの寺に参詣して所願をかなえ、その礼として源氏物語の巻を納めたと伝えられる仏である。このほか東には伊吹の高山や荒れ果てて残る不破の関も見え、砦のさえぎるもの一つとてない景観と頑丈なる構えは筆舌に尽くしがたいものであった。

 この虎御前山から後方の横山までは三里の距離があり、やや遠かった。このため途中の八相山と宮部郷(現虎姫町宮部)にも連絡用の砦が築かれた。宮部郷には宮部善祥坊継潤が入り、八相山は城番の人数が守った。また虎御前山から宮部郷までは悪路が続いて通行が不便だったため、信長公は道路の改修を命じて道幅を三間半にまで広げさせ、敵地側の道路脇には五十町の距離にわたり高さ一丈の築地を築かせ、川水を堰入れさせた。

 これほどに雄大な陣地構築は前代未聞であり、この陣地群の前にはもはや前方に展開する朝倉勢もさしたる脅威ではなかった。そのため信長公は横山へ軍勢を納めようと考え、その前に朝倉勢へ使者を向かわせた。使者は堀久太郎秀政であった。堀は朝倉の陣に着くと、「朝倉殿には折角の御出馬である。ついては日時を定め、一戦を致さん」という信長公の言葉を伝えたが、朝倉勢からの返答はなかった。9月16日、信長公は虎御前山の砦に羽柴秀吉(秀吉について、原文ではここから羽柴姓で称される)を残し、嫡男奇妙殿とともに横山へ馬を納めた。

 

 すると霜月3日浅井・朝倉勢が軍勢を繰り出し、虎御前山から宮部に到る道に築かれた築地を破壊しようとしてきた。先鋒は浅井七郎であった。この動きに対し、秀吉はすぐさま応戦の人数を出して一戦に及んだ。戦は梶原勝兵衛・毛屋猪介・富田弥六・中野又兵衛・滝川彦右衛門らの先懸け衆が奮闘して敵を追い崩し、各々功名を挙げた。このうち滝川彦右衛門は元々信長公の近習をつとめていた者であったが、今回の江北出兵で背に大指物を差して出陣しながら大した武功も挙げられず、信長公の勘気をこうむって虎御前山に居残っていた。そのためこの戦では発奮して目のさめるような働きをし、その功によりふたたび御前に召し出された。滝川は大いに面目を施した。

 

 


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松尾寺山砦 近江国(米原・上丹生/西坂)

2018年06月16日 | 

松尾寺山砦 再アタック

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お城のデータ

所在地:米原市西坂~上丹生  map:https://yahoo.jp/niTQZP

別 称:一本杉の

区 分:砦/山城  

現 状:山林

築城期:鎌倉期か?

築城者:ー

標 高:475m 比高差:325m 

遺 構:郭・堀切・土塁・竪堀・碑・説明板

目 標:鎌刃城(林道)/西坂集会所(松尾寺参道)

訪城日:2018.6.16

お城の概要

 松尾寺は現在はその拠点を醒ヶ井養鱒場の隣に里坊を移している。かってはその境内は広く霊仙山が一望できる松尾山の山腹にあり九重の石塔、本堂跡や数多くの坊跡が残っている。

寺伝によると天武天皇9年(680年)、役行者が修行に入ったのが始まりとされ、平安時代には伊吹山寺の創建にかかわった松尾童子が創建にかかあわったらしい。

 浅井亮政(長政の祖父)などの書状が残っており戦国時代にはこの地の有力武将とのつながりがあった。江戸時代には彦根藩により本堂が再建された。ご本尊は飛行観音とされ秘仏です。空中から雲に乗って飛来したとされ、現在は空を旅する人や航空関係者が安全祈願に訪れる。

松尾寺山砦は誰が建てたか不明ですが、3本の堀切で尾根筋を切断する構造は今でも見えます。

この松尾寺山砦も樋口西坂砦も近年長谷川博美氏(城歩会会長)との泉良之氏(番場の歴史を知り明日を考える会)が偶然に発見されたものです。



 

鎌刃城の上から、トライした。

鎌刃城からは3kmの尾根縦走で(西坂山などを越えて)城跡へ。

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画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然普通車5台駐車可

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南側堀切画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、屋外、自然土橋画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、靴、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:屋外画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、草、屋外、自然自動代替テキストはありません。画像に含まれている可能性があるもの:木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物画像に含まれている可能性があるもの:植物、屋外、自然一本杉の袂の大日如来(石造)画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然根元から少し上で2本に分かれ二本杉に間違われることもある西坂の一本杉。麓に大日如来が祭られてある。画像に含まれている可能性があるもの:屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、空、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、草、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然

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鎌刃城まつり 松尾寺山砦

2018年06月05日 | 

 

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浦山則宗 上笠(正覚寺)陣所 近江国(草津)

2018年05月27日 | 陣所

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お城のデータ

所在地:草津市上笠町 map:https://yahoo.jp/dqjtNY

現 状:個人宅

訪城日:2018.5.26

お城の概要

正覚寺は草津市上笠地区にあったが、現在は消滅している。
西教寺の東側付近にあったとされるも周辺は住宅地となり、遺構跡はない。

お城の歴史

長享・延徳の乱(鈎の陣)における足利義尚方の陣所のひとつ。
1487年、六角高頼討伐のために浦上則宗が布陣した。

浦上則宗は「上笠の正覚寺」に陣を敷き、義尚方の先鋒として甲賀郡に攻め入る。
しかし、六角高頼が姿を眩ませたために長期戦となった。
翌年5月に甲賀衆(甲賀忍者)によって陣を焼かれており、本国の播磨では山名氏との戦闘が続いていたことから浦上則宗がいつ頃まで在陣を続けたかは不明。

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参考資料:遺跡ウォーカー、滋賀県の城

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賤ヶ岳合戦時 羽柴秀吉の本陣(木之本地蔵院)

2018年05月26日 | 陣城

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お城のデータ

所在地:長浜市木之本町木之本165 map:https://yahoo.jp/0_iVts

現 状:寺院

区 分:陣城

訪城日:2018.5.25


お城の歴史

1583年(天正11)4月、近江の賤ヶ岳(滋賀県長浜市、標高422メートル)で、羽柴秀吉が柴田勝家を破った戦い。近江、美濃、伊勢などで起こった局地戦の一つ。

近江から山路を縫い越前に出る北国街道上の木之本、東野、柳ヶ瀬辺の道路に沿った高地を含む地区での争いの決勝戦。

1582年の本能寺の変ののち、羽柴秀吉の勢力が盛んになると、秀吉と織田家の古老柴田勝家との対立がしだいに表面化した。秀吉は織田信長の次子信雄(のぶかつ)と、勝家は信長の三子信孝(のぶたか)および滝川一益と結び、両者の激突は必至の形勢となった。同年12月、秀吉は勝家の属城長浜を降し、信孝を岐阜城に囲み人質をとった。翌1583年正月、一益が伊勢に挙兵。秀吉は2月伊勢に出陣する。勝家は前将軍足利義昭と後援者の毛利輝元と連絡し、秀吉の挟撃を企てる。

そして一益に呼応し、3月10日すぎには柳ヶ瀬北方の内中尾山に出陣。伊勢から軍を返した秀吉は、3月17日賤ヶ岳一帯の高地を占領し、木之本に陣した。そして岐阜の信孝の動きを知ると、4月16日に大垣に入城。20日正午ころ勝家軍攻撃の報を受け、2時ころ転進、9時ころ木之本に着き、翌21日早朝、佐久間盛政(もりまさ)軍を追って賤ヶ岳で撃破、正午ころ勝家を攻め、これを越前に敗走させた。秀吉の小姓9人、福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、糟屋武則、桜井左吉、石河兵助らによる「七本槍」の功名はこのときのことである。秀吉軍は長駆、越前北庄(福井市)を攻め、24日勝家を自殺させた。信孝は自殺、一益は降伏、小牧・長久手の前哨戦となる。勝家の組下前田利家の裏切り説は?

 激戦の最中、茂山に布陣していた柴田側の前田利家の軍勢が突如として戦線離脱した。これにより後方の守りの陣形が崩れ佐久間隊の兵の士気が下がり、柴田軍全体の士気も一気に下がった。これは秀吉の勧誘に利家が早くから応じていたからではないかと推測される

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参考資料:Wikipedia

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東野山砦(実山砦,左禰山砦)を守った秀吉の家臣「堀秀政とその生涯」講演と現地見学会

2018年05月25日 | 陣城

2018年5月24日

奥びわ観光ボランテイアガイド組合主催
 堀秀政講演  講師 長浜市太田先生
 東野山砦視察 講師 長谷川博美

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現地見学

お城のデータ

所在地:伊香郡余呉町東野  map:http://yahoo.jp/2sIxM6

別 名:実山砦,左禰山砦

築城者:東野備前守一族 

改築者:堀久太郎秀政

初城主:東野備前守一族

陣 将:堀久太郎秀政

区 分 :山城

遺 構 :土塁,横堀,虎口,竪堀

城  域:250m×150m

標 高:407m    比高差260m

市指定史跡

お城の概要

東野山砦は天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いに際して、羽柴秀吉軍の堀秀政が布陣した砦である。

 この東野山砦は羽柴秀吉軍の最前線に位置し、谷を挟んで北には今市上砦、北国街道を挟んで西側には佐久間盛政の行市山砦と対峙する。

 天正11年(1583)4月20日、行市山砦の佐久間盛政は中川清秀の大岩山砦を急襲し、“中入り”を成功させた。翌21日早朝、大垣からとって返した羽柴秀吉が大岩山砦を攻撃した時、玄蕃尾城から出陣して北国街道を南下してきた柴田勝家を北国街道の狐塚に釘付けにしたのが、この東野山砦に布陣した堀秀政軍である。

 東野山砦へは余呉小学校の南側から林道・東野中之郷線を車で約10分ほど登ると砦横に着く。訪れた時は砦一帯の下草が刈られており、下草の多い時期にも関わらず、状態良く残された遺構を見ることができた。地元の方々に感謝!

 東野山砦の縄張りは複雑で、賤ヶ岳の戦いで築城された陣城の中にあっては玄蕃尾城とこの東野山砦は双璧である。虎口は東西南北の四方に設けられており、いずれの虎口も折れを入れか、横矢掛けが考慮されており、土塁を石垣に替えれば、まさに近世城郭の縄張りである。

 中央部に主曲輪を置き、主曲輪の東西と南側に曲輪を配置し、北側は斜面を利用する形で築城されている。主曲輪を除いた3つの曲輪に虎口が設けられているが、主曲輪の東(背後)の曲輪には南北2つの虎口がある。つまり南側の秀吉陣側と北側の勝家陣側に虎口を設けており、この曲輪が守備と迎撃の中心的な役割を担っていたことが想定される。
 また、主曲輪の北側には物見台と考えられる高台があり、ここからは佐久間盛政や前田利家が陣取った行市山、別所山を真正面に望むことができる。

 滋賀県中世城郭分布調査資料によると、更に北側には尾根を断ち切る形で堀切・土橋が設けられていたようだが、現在では林道建設に伴い破壊されてしまっている。

 南側には竪堀が麓まで続いているのだが・・・・。

 余呉町には賤ヶ岳の戦いに伴い、20を越える陣城が作られているが、ここ東野山砦や玄蕃尾城は、天正年間における築城技術(縄張り)の粋が凝らされており、織豊系城郭の築城技術の発達を観る上で非常に貴重な遺構である。

黒田官兵衛に指示!賤ヶ岳の合戦で、秀吉の文書「長浜城歴史博物館蔵」

賤ケ岳合戦「砦小屋壊し援軍待て」 参戦の事実裏付け

 長浜城にいた秀吉が総攻撃の20日ほど前に前線の弟、秀長へ出した。署名にあたる自身の花押(かおう)もある。

 

 自陣の砦(とりで)周囲にある小屋の撤去を秀長や官兵衛が手伝うよう指示した上で、壊してできた空き地へ翌日に軍勢を送ると伝え、「味方が着くまで撤退してはならない」と命じている。同博物館が京都市内の古美術商から購入した。

 

 賤ケ岳合戦は長浜市北部の余呉湖周辺で展開され、秀吉が同じ織田信長家臣の柴田勝家を破って天下人へ踏み出した戦い。秀吉の7人の部下「七本槍(やり)」の活躍で知られる。

お城の歴史

黒田官兵衛も謫陣していた。

東野山砦は別名実山砦(さねやまとりで)とも称し、京極氏や浅井氏が湖北に君臨していた頃より、その支配下にあった豪族東野備前守一族の居城のあったところである。

 天正 11年(1583)の賤ヶ岳の合戦には、羽柴秀吉方の勇将で佐和山城主であった堀秀政がここに砦を築き、行市山に陣する柴田勝家方の佐久間盛政と対陣した。

堀秀政は、ここを拠点として北国街道を南下しようとする柴田勝家軍を牽制することで秀吉軍の勝利に貢献した。

  現在残っている遺構は、豪族東野氏の構築したものではなく、賤ヶ岳合戦に堀秀政が改築したものと考えられる。

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、木、草、屋外、自然

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参考資料:講座資料・現地説明板・ガイドさん説明

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北野砦 近江国(長浜市(浅井町)北野)

2018年05月23日 | 

画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:スケッチ滋賀県中世城郭分布調査7(1990.3)(伊香郡・東浅井郡の城)より

お城のデータ

所在地:長浜市(東浅井郡浅井町)北野町 /池奥   map:https://yahoo.jp/p5HrQ9

現 状:森林(山頂)

区 分:山城(砦)

築城期:

築城者:

遺 構:堀切・曲輪・低土塁

標 高:204m  比高差:60m

目標地:北野町墓地

駐車場:北野町墓地の駐車場

訪城日:2018.5.20

お城の概要

 北野集落の東背後に通称西山は、小谷山から東に伸びる枝状尾根の先端部に北野砦は位置する。

北野集落の東背後に通称西山には2ケ所にピークあり、この尾根南端の削平地があるが古墳に空堀状の凹地ある。頂部(主郭)の間ぼ斜面には、2本の登り土塁状地形が存在し、平行するよう竪堀状がある。鞍部あり鋭く深い堀切が設けられている。主郭部はなだらか地山で中央には方形平削地と小平削地(犬走り)状と集落側に低土塁が存在する。北端には「こじき坂」堀切は3mの深さがある。主郭へ向かう斜面に方形の削平地とそれを帯郭・段築で取り巻いている。さらに西のピークはこ灌木等で見学不能である。

お城の歴史

まったく不明であるが、北の北野スミス砦と共に、大依山砦と小谷城の繋ぎ砦であったようだ。

 

 天正元(1573)年に織田信長の攻撃により小谷城が落城した際に、浅井長政の妻であったお市の方と三人の姫たちが城から落ち延びたと思われるルートをちょうど反対に辿り、小谷城祉まで登り行くコースである。

 

 小谷城の城下町や城の正面にあたる追手道、それに平時における長政や家臣団の屋敷が建ち並ぶ清水(きよみず)谷など、いわゆる城の表側はすでに信長軍によって占領されており、「お市の方らが落ちていくとすれば、城の搦め手にあたる月所丸からであったろう」というのが大方の推量である。もちろん、脱出ルートに関する正確な文献は残されていない。

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こじき坂堀切(北野砦の東側)画像に含まれている可能性があるもの:木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、屋外、自然画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然

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画像に含まれている可能性があるもの:空、屋外、自然北野砦(遠望)

「五先賢の舘」

画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外画像に含まれている可能性があるもの:家、空、雲、木、屋外「五先賢の舘」がある。

 

画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然堀切=切通し(池野村から北野村)「こじき坂」・・・説明板には、「浅井の侍女たちはは三姉妹の身分をかくす為、池野町(村)の民家で古い野良着に着替させて北野町(村)に降りた、もの山道を「こじき坂」と呼ばれている。

  「五先賢の館から、すぐの田んぼの中にある小さな四輪塔である。元々五輪塔であったものだが、一つ失われて四輪塔となっている。

 祀られている四輪塔は、お市の方と三人の姫たちが小谷城から落ち延びていく際に、乳飲み子であった三女のお江を抱いて逃げた浅井家の侍女の墓であると地元では言い伝え。 

  DSCN5337DSCN5336城の南東にある実宰院という寺院まで無事に姫たちを送り届けた侍女は、すでに小谷城が落城して城に戻ることができず、この地で浅井家の菩提を弔い続けたのだという。その侍女の墓と伝えられているのが、この四輪塔である。落城にまつわる悲話。・・・・・須賀谷温泉のブログ(一日回峰行同行記)より」

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、須賀谷温泉のブログ(一日回峰行同行記)より」

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井口(いのぐち)城(弾正屋敷)  近江国(長浜市高月町井口)

2018年05月22日 | 居城

画像に含まれている可能性があるもの:木、空、屋外

お城のデータ
所在地: 滋賀県長浜市高月町井口168 map:https://yahoo.jp/8kOIx9
別 称:弾正屋敷 
現 状: (学校・宅地)富永小学校
築城年:室町期 
築城者: 井口氏
区 分: 平城 (居城)

遺 構:石碑。現地説明板

目標地: 富永小学校

駐車場: 富永小学校来客用駐車場

訪城日: 2018.5.20 

お城の概要

井口城は 井口集落は高時川の水路が集落内を巡る。「高時川上流には井口氏が管理していた井関が今も残り、取水された用水が村々の水路をとうとうと流れ、中世以来の水利遺産」。

 高時川の中流、長浜市高月町井口が阿古(浅井長政の母)の故郷。阿古の父である井口弾正経元(つねもと)は、浅井家に仕える武将で、現在の富永小学校一帯に屋敷を構え、近くの真言宗豊山派の寺、理覚院は井口氏の菩提寺である。理覚院庭園は江戸初期の庭園で小堀遠州作とも言われているようです。

経元は浅井家の忠臣でした。長政の祖父・亮政の代のときにあった箕浦の合戦で、経元は亮政の身代わりとなって討ち死にしたと伝わっています。浅井家ではその忠義に応え、亮政の子であり、のちに長政の父となる久政のもとへ阿古を嫁がせたそうです」。

画像に含まれている可能性があるもの:空、木、屋外

お城の歴史

『江州佐々木南北諸氏帳』には、「伊香郡 井ノ口 住 佐々木隋兵 井ノ口宮内少輔 同 井ノ口仙蔵 同 黒田末 小寺重蔵 同 寺田半之助」名を記す。

井口氏は、近江佐々木氏の一族とも、崇峻天皇の後裔と云う近江中原氏の一族とも伝えられ、中世以来、高時川の「井預り」として湖北地方の水利権を掌握し、「湖北四家(磯野氏、赤尾氏、雨森氏、井口氏)」に数えられた。

 織豊期に浅井亮政からの姻戚関係を受け入れ、浅井氏の重臣に列するようになった。享禄4年(1531)の六角定頼との「箕浦の戦い」で、井口弾正経元は主君の浅井亮政の身代わりとなって討死し、亮政はこれに報いるため、経元の嫡男・経親を重用するとともに、経元の娘阿古を亮政の子・久政の室に迎え、阿古御料は長政を産んだ。    その長政は、織田信長の妹・お市を室とし、お茶々(後の淀殿)、お初、お江の三姉妹をもうけ、末娘のお江は二代将軍徳川秀忠の正室となり、その子の家光は三代将軍に、和子は天皇家へと嫁している。
阿古御料は、小谷城落城後に信長に捕らえられ、十指を毎日1本ずつ切断され殺されたという悲惨な記録が残る。

井口氏によって築かれたと云われる。高時川の「井預り」として水利権を掌握し、湖北四家の一つに数えられた。

浅井長政の母は「阿古(あこ)」という。江ら三姉妹の祖母である。高時川の中流井口が阿古の故郷だ。阿古の父である井口弾正経元は、浅井家に仕える武将で、現在の富永小学校一帯に屋敷を構え、近くの真言宗豊山派の寺、理覚院は井口氏の菩提寺である。
 「経元は浅井家の忠臣でした。長政の祖父・亮政の代のときにあった箕浦の合戦で、経元は亮政の身代わりとなって討ち死にしたと伝わっています。浅井家ではその忠義に応え、亮政の子であり、のちに長政の父となる久政のもとへ阿古を嫁がせたそうです。井口氏は代々、湖北を流れる高時川の水利権を統括する「井関預かり」であったことから、浅井家は自領への水利権を優位にするため、久政と阿古の婚姻を進めたとも考えられている。
 小谷城が落城する際、阿古は捕らえられ、信長の怒りによって指を数日に分けて切り落とされた後、殺害されたという記録が『嶋記録』という文書にある。信長にしてみれば、長政の母ということでの憎しみが相当あったのでしょう。久政は戦争を好まず、六角氏との争いを避けていたため無能と思われがちだが水利件を得ることで、領地に富をもたらした。
 井口弾正邸の石碑

井口弾正のお墓

画像に含まれている可能性があるもの:空、植物、木、家、雲、屋外井口弾正の菩提寺「理覚院」

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参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、現地説明板

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