お城のデータ
所在地:敦賀市金山 map:https://yahoo.jp/z1RXjG
区 分:山城
現 状:山林(山頂)
築城期:織豊期前期
築城者:徳萬紡・朝倉義景
遺 構:曲輪、土塁、横堀、竪堀
標 高:168m 比高差:113m
目標地:関入口バス停・畑関リサイクルセンター
駐車場:県道225号線沿いの空地
訪城日:2017.11.25
写真集:https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/966002483562327
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お城の概要
金山城は、越前と若狭の国境にある関峠を押さえる位置にある丘陵に築かれている。
関町の県道沿いにある「畑関リサイクルセンター」の背後の山が金山城で、県道沿いの空地から緩やかな尾根筋を登る。
金山城の縄張りは、山頂部に土塁が囲繞した主郭と二の曲輪が配され、主郭北側と二の丸東側には内桝形の虎口が設けられている。朝倉の支援で浅井が築いた「近江・長比城」に非常によく似た縄張。主郭の北側に一段低く三の曲輪と四の曲輪があり、主郭部よりは削平は祠が建ち、城跡碑(無彫刻)のある。周囲に土塁を巡し、その内側に横堀。主郭部に入るに内桝形虎口の山城遺構が残存する。
お城の歴史
この城は『疋田記』に、一向衆徒の徳萬紡が朝倉義景に味方して、信長の越前侵攻に対して金山に築城して戦った、と記しています。若狭守護武田氏の被官美浜国吉城主粟屋氏、朝倉氏との戦いに関連付けられている山城とされる。詳細は不明の城。
元亀元年(1570)に信長が越前攻め時、浅井長政の謀反に遭い、急ぎ越前を退去しますが、このとき殿(しんがり)の秀吉は国吉城、又徳川家康はこの金山に立て籠もったとの記録がある。(金山は、越前敦賀・金山城と若狭土井山・金山城ある)http://blog.goo.ne.jp/kkkk_015/e/784f20b1754915309b947ec5ec531ed8
永禄年間に朝倉氏が若狭に侵攻して国吉城など若狭守護武田氏を攻めているが、この頃には若狭と越前との国境に位置する金山城が朝倉方の城として文献に記載されている。
参考資料:金山城見学会資料・『疋田記』
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