城郭探訪

yamaziro

市宮神社の額田王////「万葉の森 船岡山」および「妹背の里」周辺

2011年06月23日 | 観光ボランティアガイド

市宮神社の額田王

 

 

額田王、近江天皇を思(しの)ひて作る歌

君待つと我(あ)が恋ひ居れば我(わ)が宿の簾(すだれ)動かし秋の風吹く(万4-488、8-1606)

【通釈】あの方が早くおいでにならないかと、恋しくお待ちしていると、我が家の簾がそよそよと動き――あの方かと思ったけれど、お姿はなく、秋風が吹くばかり。

 

「天皇、蒲生野に遊猟する

額田王

 あかねさす 紫野行き 標野行き 
     野守は見ずや 君が袖振る


「皇太子の答ふる御歌」
 紫の にほへる妹を 憎くあらば
   人妻ゆゑに 我恋ひめやも   
 
          

(万葉集巻一)

天智天皇7年(668)旧暦5月5日、遊猟のため、
天皇とともに蒲生野に訪れた額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(おおあまのみこ)との間で交わされたこの相聞歌は、
万葉集を代表する歌としてあまりにも有名です。

舞台となった「蒲生野」は旧蒲生郡内にあった野で、
古代には皇室の薬猟場として、華やかな宴が催されました。

この歌が広大な蒲生野の何処で詠まれたか、
もはや知る由もありませんが、
この歌をもとに整備された「万葉の森 船岡山」に足を運びました。




山というよりも小高い丘と呼ぶにふさわしい船岡山は、
万葉集愛好家にとって憧憬の地です。

麓に鎮座する阿賀神社の前を過ぎて山道を登ると、数分で山頂にたどり着きました。

山頂には、相聞歌の歌碑が安置されています。
歌碑に刻まれた文字は『元暦校本万葉集』(国宝)に基づいています。
昭和43年に蒲生野顕彰会によって建立されたこの歌碑は、
その後、全国各地に誕生する万葉歌碑の先駆け的な存在として知られています餭

RIMG1653.jpg【船岡山の万葉歌碑】

碑の前で歌を詠んだ後、阿賀神社からの登り道とは反対側に山を下ります。
麓には万葉植物園がありました。
蒲生野遊猟」と題された陶板のレリーフの周囲に、
万葉集ゆかりの花100種あまりが植えられています。

RIMG1659.jpg
【「蒲生野遊猟」のレリーフ】

早速、相聞歌で詠まれた紫草(むらさき)を探します。

RIMG1661.jpg
【紫草です】

見つけました。
私が訪れた6月上旬はまさに満開の時で、
鮮やかな白に彩られた五弁花を広げていました。
使い古された言葉ですが、この花に対しては「可憐」という表現がぴったりです。

紫草は草丈が60センチ程になる多年草です。
赤紫色をしている根は、
往古より布を紫に染める「紫根(しこん)染め」に用いられました。
高貴な色である紫の原料となる重要な染料植物でしたが、
合成染料の登場によって近代以降は急速に減少します。
さらに、発芽率が低いうえ、ウイルスに弱いため栽培も容易でありません。
そのため、現在は絶滅危惧種に指定されています。


竜王町の「妹背の里」にも足を運びました。
蒲生野にそびえる雪野山の麓に位置する多目的広場です。
額田王と大海人皇子の像とともに、ここにも相聞歌の歌碑があります。
近くを流れる日野川に架かる雪野山大橋にも歌碑と2人の像が置かれています。

RIMG1621.jpg
【妹背の里の歌碑】

RIMG1623.jpg
【雪野山大橋の歌碑】

RIMG1624.jpg
【雪野山大橋の額田王像】 

 

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました

 

 

 

 


ボランティアガイド 現地講習 3 2011.6.15

2011年06月16日 | 観光ボランティアガイド

本日は、建部堺の村社 八幡神社から

ボランティアガイド 現地講習 3

乳橋地蔵

乳橋です。

道路をはさんで乳橋地蔵さん

中を覗いて・・

 

 

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました


おもてなしの手作り杖・・・虎御前山の登山道に

2011年06月10日 | 観光ボランティアガイド

おもてなしの手作り杖

河毛さん、虎御前山の登山道に
 虎御前山ハイキング道の入り口に、湖北町河毛、河毛清晃さん(70)の作ったハイカー用の杖が置かれ、重宝がられている。
 今年、大河ドラマブームで、戦国時代の舞台となった小谷山や虎御前山などに多くの観光客が訪れている。
 標高230㍍の虎御前山は、織田信長が浅井氏の居城、小谷城を攻略するため、最前線基地として使われ、数多くの武将陣地跡が残っている。
 ハイキングコースは約2㌔、1時間で尾根を縦断できるため、女性や高齢者にも人気だが、山の一部は急斜面。河毛さんはハイカーを手助けできないものかと、「おもてなし」の気持ちを込め、杖を作った。
 杖は山に自生する樫(直径約3㌢)を約1㍍にカット。20㌢程を残し、皮を剥ぎ取ったもの。山の南北にある登山道入り口に各20本を設置。多くの人が利用している、という。


 

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました


ボランティアガイド 現場講習会 2 2011.6.8

2011年06月09日 | 観光ボランティアガイド

市宮神社の額田王

額田王、近江天皇を思(しの)ひて作る歌

君待つと我(あ)が恋ひ居れば我(わ)が宿の簾(すだれ)動かし秋の風吹く(万4-488、8-1606)

【通釈】あの方が早くおいでにならないかと、恋しくお待ちしていると、我が家の簾がそよそよと動き――あの方かと思ったけれど、お姿はなく、秋風が吹くばかり。

 

 

NETに感謝!感涙!  ・・・・・・Openされたをblog・HPは、「著作権・肖像権の承諾と」勝手に解釈しております。

blogやHPの管理者様に感涙!  薄知の当blog管理人はとっては、Openされたをblog・HPは世界の知恵袋、大辞典です。

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました

 

 

 

 


鎌刃城 近江国(米原)

2011年06月06日 | 戦国山城

鎌刃城は「境目の城」
戦国時代、近江は南半分が佐々木六角、北が京極氏や浅井氏が支配する守護代の時代。

鎌刃城のある一帯は
その境目にあり、
国境警備を目的として多くの城が築かれた。
磯山城、横山城などもその目的で築城された。
一武将が籠る城では無く、ころころと変る戦国大名に指定されて城番を集団で努めるという城。

従って城主は土居氏、堀氏、今井氏などで、最後は信長による浅井家滅亡と共に廃城となる。

鎌刃城址探訪 Ⅰ 2011.6.5

鎌刃城探訪 Ⅱ 2011.6.5

 

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました!!


チーム時遊館・・・ほたる祭りで「愛の絆の支えの杖」づくり

2011年06月04日 | 震災ボランティア

 

土曜学び座{里山の杖づくり」の様子・・・

長浜市社会福祉協議会の古脇主事より、被災地の状況の報告会が実施された・・・プロジェクターを使って、「宮城県本吉群南三陸町」の写真を・・・!

時遊館に、約70名の子供達は、被災地、「宮城県本吉群南三陸町」の状況を熱心に聞き入った。

その後、小生「支えの杖を送る会」を代表して

被災地へ送る体育館で避難生活をおくっている、お年寄り「愛のメッセージ」お願いした!

時遊館の「おやじの会」の「手作りの里山の杖」が、「愛と支えの杖」に変身したのでした!

虎姫小学校の先生や1年~6年生でおうえんしています。がんばってしあわせになって。・・・ets

約70本の「愛のメッセイージ入りの支えの杖」・・・

その後、【ホタル祭りと観察会】は始まったのです・・・。

 

素晴らしい「時遊館」活動に、素晴らしい子供達に、感謝しながら・・・・帰途つきました。

        今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました