城郭探訪

yamaziro

山本神社遺構 近江國(土山)

2014年05月05日 | 遺蹟

山本神社遺構(甲賀の城より)

所在地:甲賀市土山町大野字山本 map:http://yahoo.jp/D9DLtx

現 状:山林

遺 構:土塁・空堀・土橋

区 分:平城

訪城日:2014.5.3

山本神社の東側に南北に長くやや歪な台形の土塁で囲まれた遺跡が残る。

西側の神社に面して堀が残され、南東隅の土塁は丁字になっており、東側に続く副郭であったものと思われる。東側の土塁の外には名称不明の神社が、二つ存在している。

山本神社は土山町大野のうち、片山集落の西はずれに所在する片山の氏神である。
 この東隣りの森林内に土塁で囲まれた南北に長い区画が存在する。土塁の高さは約1m、西側には深さ約1mの空堀が確認できる。

東西のほぼ中央付近に土塁が開口していて、西側の空堀には土橋が架かっている。

 虎口カ、この開口部は、さらに東側の小さな祠(稲荷神社)へと続く通路のために後世に改変されたものかも知れない。

 これらが城遺構カ、水口町北脇の柏木神社、甲賀町鳥居野の大鳥神社などの類例がある。多賀町の桃原城のような牧遺構にも見える。

歴  史

詳細不明。

鳥居の東側すぐ土塁。鎮守の森内に土塁で囲まれた南北に長い区画が存在する

神社東側・・・土塁カ、自然地形カ?

山本神社遺構(遠景・・・北より大野本城の西から)

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査(甲賀)、淡海の城、甲賀の城、甲賀郡誌

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!


伊佐野城 近江国(甲賀・水口)

2014年05月05日 | 平山城

駐車位置:路上(集落と城郭の間)

所在地:甲賀市水口町和野字石原 map:http://yahoo.jp/P2eASk

現 状:山林・畑地・民家

遺 構::曲輪・土塁・空堀

区 分:平城 標高200m

築城者:伊佐野氏

城 主:伊佐野上野介為綱

訪城日:2014.5.3

  伊佐野城は八幡神社の西側一帯に築かれた群郭式の平城で、その規模は東西200m、南北150mを越える。

集落の北側の茶畑や林、竹林になっている部分に土塁や空堀で区画された曲輪群が残されている。大半の遺構は確認するのが難しい状態であるが、八幡神社の境内の西側に土塁と堀を確認することができる。

伊佐野城関連写真八幡神社の由緒に伊佐野氏についての記述がある。

 伊佐野城は、水口町和野の東方、伊佐野集落の中央北側の野洲川河岸段丘上に所在する。集落側から見ると比高差はないが、北側の野洲川方向からは丘陵上に位置するのがわかる。

 縄張は東西200m×南北150mの中で、上図のようにⅠ~Ⅸの大規模な区画からなる。領主とその庶子が同名中を組織して形成されたいわゆる群郭式であり、土塁の高さや規模に格差があり、それぞれの曲輪を繋ぐ導線がない、独立した区画が隣り合っているに過ぎない構造である。

  現在ⅢⅤⅥⅦⅨが山林で、特にⅢⅤⅥは雑草に覆われ進入が困難である。ⅠⅧは宅地、ⅡⅣは畑地として利用されている。全体的に気軽に探索しづらい状態だが、その中でⅦは訪れ易く、約50m四方に土塁が巡るコンパクトな曲輪が味わえる。また東隣りの八幡神社からは、Ⅷの土塁やⅡⅢの東端を巡る空堀が簡単に確認できる。

 甲賀郡では単郭・副郭の単純な城が多い中、伊佐野城では大規模な曲輪は珍しい。類似構造は水口町の植城があるが、平地群郭は宅地化され破壊されているが、伊佐野城は貴重な遺構である。

伊佐野城関連写真

北側から曲輪の並ぶ(遠景)

歴 史

伊佐野城は築城年代等の詳細は不明だが、佐治文書によると城主は伊佐氏で、惣領と庶子からなる同名中を組織していたとされている。

 伊佐野氏は佐治氏(佐治は、甲賀町だが隣の集落)の庶家で、佐治越前守為継の三男が伊佐野を領して、伊佐野上野介為綱と名乗ったことに始まるという。

同名中」とは惣領家が突出した実力をもつのではなく、苗字を同じくする一族が互いに均衡した実力をもって形成された組織である。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、淡海の城

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