考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

予備校の先生の授業

2012年07月30日 | 教育
を見てきた若手の先生が、ほり先生の授業みたいな感じだった、と言っていた。
 どこが似ているかというと、常に当てはまる原理原則のようなことをしきりに言っていたことらしい。

 私の授業は、「常に言える原理原則」が中心である。大文字は文の始まりか、固有名詞か、とか。(イマドキの1年生はそれすらわかってない。)
 文の解釈でも、文章読解でも、こうした原理原則(それなりにいくつかはあるが、ほとんどは中学英語で既出。)から解明させる。私はこれが最も効率よい習得方法だと思っている。大事なのは、自分がよくわからないときにどうやって解明の糸口を見つけたら良いかである。それが原理原則から考える方法なのだ。
 英語は細かい知識の集積だと思われている。事実、そうである。「言葉」だから、知らなかったらどうしようもないことは多い。それでも、ただ単に言葉としてのみ理解したのでは必ず行き詰まる。ちょっと難しくなるとできなくなるのだ。そういう高校生が実は多い。原理原則の重要性をそもそも理解しない。原理原則は抽象的だから、理解が少し難しい。自分が理解できないことは重要だと思えないのである。で、力んで単語・熟語は覚えるのだが、結局、原理原則の学習に力が入らず伸び悩むことになる。

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