考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

学校ところてんagain

2009年04月04日 | 教育
「生徒は違うのに、毎年同じことをしてますねぇ。」
年度当初である。新任から数年目の同僚が、自分が受け持つクラスの名票を揃えて言っていた。どこの学校の先生もする作業である。
「そうよ。学校は、「ところてん」なんだって、どんな材料でも、ちゅるっと入れて、つるっと出すの、同じ形にね。」
「職人ですよね。」
「そうそう。製品が、それなりの品質になって、同じように出来上がって世の中に出るのが大事なんだって。個性なんて要らないの。」

↑これを読むと、憤る人がいるのが目に見えるようである。

学校は、個性を伸ばすために存在するのではないし、楽しい思い出作りの場ではない。
↑これを読むと、ますます憤る人がいるのが目に見えるようである。

個性なんて、ひとりでに発露するものである。ちんけな個性は個性でない。「みんなと同じ」ところてんの1本となる方がずっと重要である。誤った学習指導要領に目くらましされて現場の感覚を失ってはいけないのである。
思い出とは、結果として残るものであるが、目的になっては本質を見失う。

上記は、もちろんコトバ足らずの説明であるよ。(勘違いしないでくださいね。)
とにかく、いちいち説明しなくても通じる人の存在は大変喜ばしい。

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