考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

[ゴミ]好きじゃない話の展開

2008年11月23日 | 教育
 こっちが、そういう前提でしゃべってないのに、そういう前提に持っていかれると嫌になる。
 空気の抵抗も排除して、それで重力加速度や速度を考えようとしているのに、「でも、現実は空気抵抗があるではないか。だのに空気の抵抗を勘定に入れないのは前提がおかしい。」といわれても困る。まずは、空気の抵抗無しで、一体何が生じているかを突き止め、空気の抵抗はその後で考えればいい。それで、後で組み合わせて考えればいいのである。
 物事の本質を突き止めるのには、こういった思考過程が必要ではないかと思う。(面倒くさい数学の証明も同じであろう。)何でもかんでも一緒くたに考えることはできない。思考、論理は常に時間軸に乗っている。

 自由英作文の指導で、作文を書くときに言うことの一つがこういった類のことである。(他にも色々あるのはあるけど。それは自作プリントで纏めてある。)何の立場からの何を目的としたどういう考え方なのかという「視点」を持つと言うことである。でないと、ちょっと長い作文を論理的な構成で書くことは出来ない。書き手が視点をどこに置くか。どう言った観点で、どのような見方が出来るか、その多様性が、文章を豊かにする。文章構成の可否を決める(と私は思っている)。だから、生徒は、それが難しいと言う。視点を持たずに書いても内容が空虚になるだけである。英語なんて、まあ、後回し。そこで彼らは言いたいことをどのように考えて良いか、それを英語でどう表現するか、苦吟した。
 ご苦労さん。