考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

「英語はやるな」

2008年11月16日 | 教育
 将来は英語を使う仕事に就きたい、と言っている生徒には、私ははっきりと「止めろ」と言う。(前も書いた気がするけど。)
 世の中英語英語の勘違いで、生徒は英語さえ出来れば良いと思っているのである。授業の課題で、「外国語を学ぶ」と言うフレーズを訳すのに「study English」と板書した生徒が何人かいて愕然とした。「foreign languages」と書けなかったのかもしれないが、そうとも言い切れまいと私は危惧する。
 まあ、入試のレベルも、英語だけダントツに難しい。(多くの場合、君たちの成績では無理であることが多い。)それでもって、英語で喰っていくのは実に困難を極める。最も易しいのが「中学高校の教員」であろう。(これは、自分を基準にした話であって、実際はどうなのでしょう・笑)しかし、彼ら彼女らは、教員になりたいわけでない。あくまでも国際舞台で活躍できるような職種である。ならば、他の外国語、フランス語でもドイツ語でも何でも良い。アジア系の言語も良いかもしれない。専門家は、常に必要であるはずだ。もっとも、「その国に行く」のを前提で考えるのは必須であるが、他の外国語の方が食える確率が高いはずである。

 それでも英語人気は続くのであろう。その結果が、「英語の幼児教室」だのなんだの、「私、英語を専門にやったのだから、これを仕事にしよう」と、無知な親子を対象に、よく言えばビジネス、悪く言うと要は金儲けの、あってもなくてもいい、もっと言えば、なくても全く困らない、時に百害あって一利無しの子供をダシにした商売が蔓延るもとになるのであろう。私は彼ら彼女らを将来のその手先にしたくない。
 幼児のためのフランス語教室、マレー語教室、スワヒリ語教室は存在しないだろう。(ヒッポ何とかは知らないけど。)如何なる言語であろうと、その道の専門家としての修練を積み、真の国際化時代の旗手たるべく努めて欲しいものである。