考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

誰が矢面に立つか

2005年05月22日 | 教育
 先日、学年主任がある提案に対する意見を聞いてきた。私は反対した。なぜなら、原則に反していたからだ。私は、目先の問題解決のために原理原則を崩すと、後で更に大きな問題が生じて来たときに(それで、これがまた生じやすくなるものなのだ。)対応に苦慮すると考える。そう言って、「意地悪な」私は、更に付け加えた。「でも、その提案は、あなたが面と向かって文句を言われたくないからでしょ? それで、なぜ、文句を言われたくないかというと、管理職が守ってくれないからよ。」(結局、学年主任は、他の理由もあってその提案を没にした。)
 
 で、言い残したけど、続きがある。「で、管理職がなぜ守ってくれないかというと、教育委員会が管理職を守ってくれないからで、教育委員会が管理職をなぜ守らないかというと、文科省がちゃんとしてないから。」

 今は、文句を言われるか言われないか(大それては、訴訟を起こされるか起こされないか)が、学校経営の根底にあるから、学校はホテルかレストランと化し、親の意識が相当に高く、教育の何たるかが分かっているところでもなければ、まともな教育が行われなくなりつつある。
 
 よって、内田先生のおっしゃる文化資本の二極化が進むと、本来、本当に必要とされる層に対する公教育がただの子守と化し、口先だけは達者な幼稚な社会人を生み出すこととなる。