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  Inclusive・Hearts いま、ここから。

調査結果。。。

2007-07-06 01:27:10 | ともに生きる
こんな調査結果が出たとのこと。

記事を読みながら、当たり前のことなのに、
こんなことを今頃調査して、発表しなければならない現実が問題なのだと思う。

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脳性麻痺小児と一般の小児のQOLに差はない

2007-07-02 - 最近のレビュー報告において、脳性小児麻痺を有する青年は他の青年に比べてQOLが低く、脳性小児麻痺の青年の身体的ウェルビーイングは身体障害の重症度と強く相関する事が示唆されています(1)。

しかしLancet誌に新たに発表されたHeather Dickinson等による研究成果では上記のレビューとは少し異なる結論が得られています(2)。

Dickinson等は、小児のQOL評価法としてバリデートされているKIDSCREENを用いてヨーロッパの8-12歳の脳性小児麻痺患者500人にQOLを自己評価してもらいました。

この結果、脳性麻痺小児と一般の小児のQOLに明確な差は認められませんでした。

この結果を受けて、“8-12歳の脳性麻痺小児の大部分のQOLは他の子供と差はないと親は安心して良い”と著者等は結論しています。

さらに著者等はこう続けます。“身体障害児は一般の小児と同じように日々を過ごしていることが今回の試験で示されたわけであり、障害児を哀れんだり気の毒に思ったりすることは間違っている。

身体障害児とそれ以外の小児の生の類似性を認識し、障害児としてではなく1人の市民として彼等が社会に参加することができるような社会的・教育的な方策を最大限に後押ししていく必要がある”

また、この文献に関連したコメントには“脳性小児麻痺のQOLを理解しようとするDickinson等の努力は賞賛に値する”と記載されています(3)。

(1)Livingston MH, Rosenbaum PL, Russell DJ, Palisano RJ. Quality of life among adolescents with cerebral palsy: what does the literature tell us?. Dev Med Child Neurol 2007; 49: 225-231.

(2)Self-reported quality of life of 812-year-old children with cerebral palsy: a cross-sectional European study. The Lancet 2007; 369:2171-2178

(3)Happiness reconsidered in children with cerebral palsy. The Lancet 2007; 369:2137-2138

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身体障害の人だけじゃない。
なんかこの記事の書き方、というか訳した人の偏見がにじみ出てるような気がするけど、気のせい?



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9 コメント

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すごい。。。 (マイケル)
2007-07-06 13:07:41
斬新ですね。。。

僕ならそんな仮説すら出てこない。。。(笑)

何も知らないがゆえにできる(やろうと思う)ことでしょうね。



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何度読んでも (kiyoko)
2007-07-07 00:54:01
なんか変。。。
何が変なんでしょう?

ご意見ください。

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う~~~ん (kiyoko)
2007-07-07 01:05:15
>“身体障害児は一般の小児と同じように日々を過ごしていることが今回の試験で示されたわけであり、

・今回の試験をしなくてもそうなんだけど。。。

>障害児を哀れんだり気の毒に思ったりすることは間違っている。

・それはそうなんだけど。。。

>身体障害児とそれ以外の小児の生の類似性を認識し、

・認識しなければわからないのかしら???

>障害児としてではなく1人の市民として彼等が社会に参加することができるような社会的・教育的な方策を最大限に後押ししていく必要がある”

・そう。だからインクルーシヴ教育が重要なんだけど。。。


>また、この文献に関連したコメントには“脳性小児麻痺のQOLを理解しようとするDickinson等の努力は賞賛に値する”と記載されています(3)。

・最初から分けて、その上での理解というのが、なぜかひっかかる。この文章全体を覆う変な感じは、なんなんでしょう?
なんで「賞賛に値する」とまで言われるのでしょう?

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それは (れんママ)
2007-07-08 00:18:04
障害児=特別な子という意識が強いからだと思います。
だから、「類似性を認識し」や「1人の市民として」なんて言葉が新しく感じる。
みんなそう感じてないから、そんな風に考えられるなんて素晴らしい~なんて思っちゃう。。。

でも、私もれんを授かるまでは
正直そんな風に考えられなかった1人。
れんを通して沢山の障害をもつ人と接して初めて
「みんな同じ人間なんだ」って
特別な人じゃないんだってわかった。

私が13歳の時から、ずっと出せなかったその答えを
れんは私に教えるために生まれて来てくれたって思ってます。

接してみないとお互いわからない
だから一緒にいたいだけなのに・・・
そんな簡単な事なのにね。

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こういう人も (hattori)
2007-07-08 00:32:26
いるんですねぇ、いろんな人が。

>何も知らないがゆえにできる(やろうと思う)ことでしょうね。

と、おっしゃるマイケルさんに賛成です。
‘知らない’ということは、こんな調査も分析も可能にしてしまう。‘知っている’と、とんでもなくてできないことが、知らないといとも容易にできる。

kiyoyoさん、このごろ思うのです。
人類は同じ過ちを繰り返す。ちっともわかっていない。それはなぜか。それは、たえず人間が、入れ替わっていくから。‘認識し、理解し’た人々は、いずれは死に絶え、“未だ理解していない”人がつぎつぎ生まれ育ち、増加していきます。

その意味で、まず“未だ理解していない”人が、この論文を書き、“未だ理解していない”人が、賞賛し、訳している、ということではないでしょうか。


身近にいる友人は、こうした状況を「馬鹿者が増えた!!! 若いやつは馬鹿ばかりだ」といつも怒っています。しかし、思い返せば、若いとき、いえ、知らなかったとき、さまざまなことに私自身、ほんとに思い出すと身の毛もよだつような発言をしていたのです。


たえず、言い続ける、伝え続ける、発信し続けるしかないのでしょうね、真実をより多くの人が理解するためには。

知らないのですねぇ。でも、それ以前に、この論理構成のあまりにも“シンプル”であること、そして、すごい“飛躍”的結論を導いているのには、愕然としますが。 
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そうだった。 (kiyoko)
2007-07-11 00:23:01
れんママの言うとおり。
それもわかった上で、話を展開していかなければならないのに、忘れていた。

むかし、「私たちの常識は、世間の非常識!」といった人がいた。

そうだった。

れんママがこの記事を読んでどういうか聞きたいと思っていた。

ありがとう。
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わたしは (kiyoko)
2007-07-11 00:31:38
本当に「知っている人」なのだろうか?
わかったつもりになっているだけではないか。

知らないことはそれはそれで問題だけど、
わかったつもりも
あかんなぁと改めて思った。
だから、この文章のどこが変か、
わからなかったのだと思った。


でも、”Happiness”の語を見たとき、
2月の報告会を思い出して、なんかおかしかった。
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あえて (マイケル)
2007-07-12 22:30:03
言いますが、やっぱ「障害」者って特別な人やと思うんです。少なくとも僕にとっては違う

「健全」者とっては違う。



とりあえずここから出発して、「なぜ『健全』者にとって特別なのか」ということを自問自答するのが「健全」者の使命、宿命だと思うんです。「社会的に」共に生きていくにはね。



「知らない」

「特別」

「可哀相」

「キモい」

「怖い」



これらをしっかり意識して自分で自分を問うていく。

「健全」者の宿命ですよ。

苦しいけどね(笑)



その意味でも、やっぱ上記の報告内容はおかしい。

自分の立場が明確じゃない。

自分は「健全」者なのか「障害」者なのか。

「社会的に」ね。

でもそれを全面に出すと論文(報告書)にないんやろなぁ。



だから僕は今『価値の社会学』(作田啓一)を読んでます(笑)



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そうですね。 (kiyoko)
2007-07-20 00:20:44
>これらをしっかり意識して自分で自分を問うていく。
「健全」者の宿命ですよ。
苦しいけどね(笑)

ほんとに。
そうですね。
いつもごまかしてしまいそうになります。

苦しいからでしょうか?
友だちが言います。
「おれは障害者であることをやめることはできないんだ。」と。

「価値の社会学」
おもしろそうですね。



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