きのう友だちと話をしていて、
「ちょっと不器用な子どもとボーダーの子どもと
どっちがすごしにくいか?」
という話になりました。
「ボーダーの子ども」????
障害児ではないけれど、発達障害などで
他の子どもたちとボーダー「境界線」にいる子どもということでしたが、
発達障害ということが言われるようになってから
発達障害といわれる子どもたちも障害児の仲間入りをすることになった。
100人いたら6~7人の発達障害の子どもたちがいることが
いつのまにか教育界にも定着してしまって
親や教師の意識を蝕んでいる。
5歳児検診なるものが今行われていて
早期発見・早期療育などと言われて久しいが、
その可能性のある子どもたちが、療育センターなどを訪れている。
私は発達障害そのものが、どんなもので、どう診断されるのかがわからなかったので
医学関係の論文や専門書を読んだり、
精神科医・小児科医・心療内科医などいろんな人に話を聞いてみた。
「においで判断します。お宅といわれる人もなんとなく接していればわかるでしょう。それと一緒です」と言われる精神科の先生
「ADHDと言われて診察に来た子を通してADHDの子どもはこう行動するのかと学んでます」と小児科の先生
小児科の医師には、精神部門の診断はできない。
精神科の医師には、今まで大人の部門しか研究されてこなかったという。
一人の子どもが複数の医療機関を訪れて
「ADHD」と診断されたり、「広汎性発達障害」と診断されたり、「高機能自閉症」と診断されたり。。
かつては個性的な子ども、ちょっと変わった子どもで通っていたのに
「なんで???」と思う。
この6年あまり、ずっと気になって、ずっとこだわっているけれど
まだその不可解さから解き放たれない。
「発達」って「その子なりの成長」が「発達」なんじゃないの?
「発達」の「障害」って何?
「ボーダーの子ども」ってどんな子ども?
「ちょっと不器用な子どもとボーダーの子どもと
どっちがすごしにくいか?」
という話になりました。
「ボーダーの子ども」????
障害児ではないけれど、発達障害などで
他の子どもたちとボーダー「境界線」にいる子どもということでしたが、
発達障害ということが言われるようになってから
発達障害といわれる子どもたちも障害児の仲間入りをすることになった。
100人いたら6~7人の発達障害の子どもたちがいることが
いつのまにか教育界にも定着してしまって
親や教師の意識を蝕んでいる。
5歳児検診なるものが今行われていて
早期発見・早期療育などと言われて久しいが、
その可能性のある子どもたちが、療育センターなどを訪れている。
私は発達障害そのものが、どんなもので、どう診断されるのかがわからなかったので
医学関係の論文や専門書を読んだり、
精神科医・小児科医・心療内科医などいろんな人に話を聞いてみた。
「においで判断します。お宅といわれる人もなんとなく接していればわかるでしょう。それと一緒です」と言われる精神科の先生
「ADHDと言われて診察に来た子を通してADHDの子どもはこう行動するのかと学んでます」と小児科の先生
小児科の医師には、精神部門の診断はできない。
精神科の医師には、今まで大人の部門しか研究されてこなかったという。
一人の子どもが複数の医療機関を訪れて
「ADHD」と診断されたり、「広汎性発達障害」と診断されたり、「高機能自閉症」と診断されたり。。
かつては個性的な子ども、ちょっと変わった子どもで通っていたのに
「なんで???」と思う。
この6年あまり、ずっと気になって、ずっとこだわっているけれど
まだその不可解さから解き放たれない。
「発達」って「その子なりの成長」が「発達」なんじゃないの?
「発達」の「障害」って何?
「ボーダーの子ども」ってどんな子ども?
学校も変わればいいのに。
学校には授業参観などで出かけますが・・・
小中高と、授業は「古来」(苦笑)の講義スタイルからなかなか脱却できないですね。
(私の場合、大学では一般教養科目以外の専門科目では、少人数で対話形式な感じでしたけれど。)
これは・・・相も変らず国家教育予算が絞られていて
そして子ども達が教室に詰め込まれているから、
ああいうカタチから抜け出せないのですか??
kiyoyo先生、堀先生、お教えてくださいませ。
芸術家タイプ・クリエイティブタイプのお子さんたちほど、今の学校は辛い所ではないですか?
そりゃ、ウツっぽくなったり、ストレスが溜まってイライラ・・というのも当然だと思います。
フリースクールなどの民間教育の場にも
もっと国家予算がおりればいいのに。
ホームスクールも市民権を得られるような社会になればいいのに。
既に御理解ある方もいらっしゃりますが、まだ、多数派ではないですよね。
問われているのは&変わるべきは、
私たち親たち・先生がたを含む周りの大人たち・学校・文部行政・社会の構造・産業界の意識 の方ではないですか?
55歳~60歳「以上」の人たちに息子のことを話すと・・・
息子のようなタイプの子ども達ことを非常によく理解してくださるかたがほとんどです。
その世代の人たちと話していると・・・子育て不安なんて一挙に吹っ飛んじゃいますからね。
特に男性の方々は皆さん、人生というものを実にダイナミックに考えておられるので、ホッとします。
(うちの夫を含めて)
特別支援に頼りたがっているのは・・・
人生経験が余り豊かではない私たち世代、特に女親にはその傾向が強いのでは??女性は細かいから。
(
それから相対的にですが、お勉強好きなかたが多いかも??学術的なことを理解するのって難しいですからねえ。)
かつては私もそういうタイプでした。情報を集めすぎて、すっかり頭でっかちになってしまっていました。
今、私はすごーーく反省しています。
既に息子には謝りました。
これは私たちの世代が受けた教育が知育に偏り過ぎていたせいかしら?
眼の前に起こっている問題や不安を、ついつい「学問」や知識で解決しようとしてしまう。。
私たちって、そういう世代なのかなあ?
わたしも今ぐずぐずとそのようなことを思っていました。
学校と授業と仕組みを問い直すこと
そして変えていくこと
が
必要。
受験・学習指導要領・教育課程・授業時数
評価・評定などなど
いっぱい縛りがあって、
ゆっくりじっくり考えたくても
考えられないような状況が学校。
それでも子どもたちと
楽しくいろんなことが考えたくて、
あーでもないこーでもないとやってみる。
子どもの発想は柔軟で
決まった答えの何百倍も素敵な答えを出してくる。
答えのない問題を考える。
答えのない作品を作る。
やわらかな頭と心で
今を乗り越えていきたいなぁと思う。
Tさんのコメントの答えになってなくて
ごめんね。
「芸術家タイプ・クリエイティブタイプのお子さんたちほど、今の学校は辛い所ではないですか?」
そうなっていると私も思います。残念です。先生がおもしろがることができないからだと思います。なぜおもしろがれないのか、それはゆっくり考える必要があると思います。おもしろがるのをながいあいだわすれてしまっているのか。おもしろがることのできない制約を周りから強いられているのか。今の社会状況でも、ちょっとぐらいおもしろがることはまだできそうです。
創造的な子ども、それはおもしろいなーという世界を持っていると考えるのです。
ともさんより、
ずっと変わってはいない。
学校生活、ずっと評価・評定がつきまといます。
なんでも点数化して成績にいれていきます。
窮屈ですね。
受験の弊害といえばそれまでですが、
価値観そのものも
なんだかそれに支配されているような。
そのなかでいかに自由に生きるか。
難しいです。
余裕がないことに尽きると思います。時間、心、考え方・・・、休む間があたえられていない。メディア、ネット、マスコミ、クチコミ(笑)の情報が怒濤のように入ってくる一方で、それをゆっくり吟味したり検討する間がない。その結果、情報に翻弄されてしまう。情報を取り入れるようにするまじめな人ほど、このスパイラルに陥って、“休まず、そして、考えない”。当然、その典型は「先生」と言われる人に多いように感じます。実は私も・・・
昔はもっと余裕があったと思うのに
最近とみに学校に余裕がなくなってきました。
時間に追われ、人に追われ、教材に追われ
なんでかなぁ?
情報量が多すぎるのか、
作業量が多すぎるのか。
子どもたちと向き合う大事な時間や
自分をつくるための時間が
どこかに消えてしまったような。
モモの「時間泥棒」を思い出しました。
このネットだって
その犯人でもあると思うのですが。。。