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氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

良賈深蔵若虚

2006-12-07 00:01:20 | 名言
「史記」の名言です。
「りょうこ(賢い商売人)は深く蔵して虚しきがごとし」
賢い商人は良い品物を持っていてもこれ見よがしに並べたてず店の奥深くに
収蔵し店頭は空虚です。

孔子が若い時に老子を訪ね教えを受けた時の事が伝承されている。
老子は孔子にこう言った。
「良賈は深く蔵して虚しきが若く、君子は成徳ありて容貌愚なるが若し」
「孔子よ貴方は自分の能力をひけらかしやる気を見せすぎる」
「能力は奥深くしまって置けば良い」
若い孔子には老子の含蓄のある言葉も意味が理解出来なかったそうです。

但し世間には私のように「成徳なくして愚なる容貌」の徒輩も居るので
容貌で判断するのもなかなか難しいものですが・・・

修己而不責人則免於難

2006-12-06 00:00:55 | 名言
「左伝」の名言です。
「己を修めて人を責めざれば則ち難より免る」
簡単に言えば「自分に厳しく他人に優しく」なんです。
これは実に簡単ですが実践するのは難しい事で「自分に優しく他人に厳しい」
のが私も含めて殆どの人達ではないでしょうか?

「身内に優しく他人に厳しい」は「組織内に優しく組織外に厳しい」と拡大し
ます。
会社、官庁、政党、国家等の全ての組織・・・キリが有りません。

大きい事よりもまず個人個人がこの名言を理想として生きて行けば善いと思い
ますが・・・言うは易く行なうは難しです。


接人則渾是一團和氣

2006-12-05 08:25:22 | 名言
「近思録」の名言です。
「人に接しては則ち渾(すべ)て是(これ)一團(だん)の和氣」
万物を育む春風のような心の温かさが「和氣」でしょうか。
私の目標でも有りますがまだまだ会得出来ません。
意識して感じて貰おうとは思っていませんし上辺を取り繕うのも苦手で無為自然
に反します。
感じる人にだけ感じれば良いと自分勝手に納得していまが・・・

取って付たような営業用の笑顔や猫なで声は上辺だけの物です。
ファミレスやファーストフード店のマニュアルの笑顔には「和氣」は感じられま
せん。(返って反発を覚えます)


見善則遷 有過則改

2006-12-04 00:02:07 | 名言
「易経」の名言です。
「善を見ればすなわち遷り、過ち有ればすなわち改む」
至極まっとうで単純明快な名言です。
理屈では理解しながらもいざ実践する事は難しい・・・

外聞や面子などに拘泥してわかっていても改める事が出来ない事が有ります。
自分の矜持を守ろうとして意地に成る事も有り理想は遠い・・・
なかなか理想の境地には到達出来ません。
だからこそ人生は面白いのですね。



大道以多岐亡羊

2006-12-03 00:16:51 | 名言
「列子」の名言です。
「大道は多岐なるを以って羊を亡う」
「大きな道には分かれ道が多くて逃がした羊を見失う・・・」
人生を大道に例えれば良く解ると思います。
人生の節目が大道の分岐点だと理解して下さい。

本道を歩んでいても険しくなり先の見通しも定かではない・・・
分かれ道の先は綺麗で末広がりのようにも見えます。
どちらを取るのが正解かは終着点に達しないと解りません。
人は(私も含め)迷い、悩む存在です。
それでなくても隣の芝生は青く見えてしまう。
自分が本道と信じる道を迷わず歩いて行きたいものです。

もしも信じて歩いた本道が行き止まりなら・・・
その時に引き返せば良いのです。
引き返すことは決して無駄では有りません。
もしも途中で迷い結果を見ぬままで道を変えていたら・・・
未だに迷い悩み苦しむ事になるでしょう。

有陰徳者必有陽報

2006-12-01 23:59:57 | 名言
「淮南子」の名言です。
「陰徳有る者は必ず陽報あり」
陰徳とは人に知られなく行い、且つ見返りを期待しない善行です。
大きな事では有りません日常の些細な事で構ません。
金銭を施したり大きな犠牲を払わなくても良いのです。
他人や動植物、自然環境に対する一寸した優しい心使い、その「氣使い」が
陰徳に成る・・・

でも「陽報」を期待しないで下さい。
陽報を期待すると陰徳は瞬間に消滅してしまいます。
陰徳を積んで其れを忘れて下さい。
すると忘れた頃に必ず「陽報」は貴方に訪れますから・・・


愛者憎之始也 徳者怨之本也

2006-12-01 00:19:47 | 名言
「管子」の名言です。
「愛は憎しみの始めなり 徳は怨みの本なり」
愛も徳も報いられる事を期待してしまいがちです。
報いられる事を期待しない事は常々言っている理想なのですが現実には
なかなか実践出来ません。

愛が憎しみの始めで徳が怨みの本ってか?
・・・・う~ん難しい。
でも中国の古典って難解だけれど面白いので大好きです。


玉不琢不成器 人不学不知道

2006-11-30 00:02:58 | 名言
「礼記」の名言です。
「玉みがかざれば器を成さず、人学ばざれば道(タオ)を知らず」
素材の良い玉も研磨し成形せねば玉器に成りません。
宝石も原石のままでは其の光を出せないのです。

人に於いても同じで幾ら才能や素質が有っても学ばねば其れを生かせません。
ここでの学ぶ意味は学問の知識を学ぶ事では無いのです。
人生を豊かにする為の知恵を学び道(タオ)を知る・・・

知恵の何を学ぶのかと言えば「謙」を学ぶのだと言えます。
「謙」を学び「道(タオ)」を知る事が理想の人生ではないでしょうか?
小生も50歳を過ぎてやっと解りました。


福生於微 禍生於忽

2006-11-29 00:00:24 | 名言
「説苑」の名言です。
「福は微かなるものより生じ、禍は忽(おろそか)より生ず」
幸福や成功は些細な事の積み重ねから発生します。
禍や失敗は些細な事をおろそかにすることの積み重ねの結果である。
人は皆(私も含めて)大事を追いかけ些末な小事をおろそかにしがちです。
成功や幸福を得る妙諦はここに有る。

大事を成そうとすれば小事を軽視せず誤った優先順位を変えねばなりません。
田植えから始まり除草や水の出し入れ等など・・・
毎日の些末な小事の積み重ねで実りの秋の収穫が有るのです。
未来の幸福や成功を夢見て毎日の些末な小事をおろそかにせず目先の微かな事
を確実にして行かないと成功は有り得ない。


縁木而求魚

2006-11-28 00:00:08 | 名言
「孟子」の名言です。
「木によりて魚を求む」
魚を求めて木に登ってもけっして魚を得る事は出来ません。
魚を得ようとするなら海辺か川辺に行くか魚屋さんへ行かねば成らない・・・
見当違いの事をしても得ることは不可能です。

しかし我々人間は幸せとか成功とか健康とかを得ようとして見当違いの事をし
てしまいがちです。
人それぞれ価値観も思考方法も異なるので求める方法も自ずと異なる。

例えば健康を求めてスポーツジムへ通いサプリメントを飲み玄米食に無農薬野菜
そして禁酒禁煙・・・
よしんばこれで健康を得てもはたして本当に健康な生活だと言えるでしょうか?
体は肉体的に健康でも精神的には不健康な生活だと思います。
健全な楽しみの有る生活だとは思えません。

良い事ばかりを求め積み重ねても良い結果が得られるでしょうか?
私には「木によりて魚を求む」ように感じて成りません。
健康に拘泥しかえって健康を損なう場合が多いのです。