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230924 深謝の言葉「いただきます」の心が消えようとしている~「亡食の時代」より~

2010年05月01日 | 肉体破壊・環境破壊・精神破壊問題
230924 深謝の言葉「いただきます」の心が消えようとしている~「亡食の時代」より~
  猛獣王S ( 30代 営業 ) 10/04/30 PM05


『亡食の時代』(産経新聞「食」取材班)リンクの「第2章 消えゆく食文化」より部分転載します。
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●深謝の言葉 「いただきます」の心どこに

飽食の時代は「食」への感謝の気持ちを忘れさせ、「食」への深謝の言葉をも奪った。消えようとしている「いただきます」──。その現実を紹介する。
             ◇

「給食費をきちんと払っているのだから、“いただきます”と言わせるのはおかしい。うちの子にはもう言わせないでほしい」。最近では、そんな抗議の声を上げる母親がいるらしい。

「タダで食べさせてもらっているわけではない」という考えから発した言葉なのだろうか。北陸地方で講演をした際に小学校の教諭から、そんな事実を知らされた伝統文化活性化国民協会の小島美子理事は、“いただきます”の意味すらわからない親がいるなんて……」と、日本の食文化が足元から崩れていく現状に危機感を感じている。

 ~中略~

農林水産省とJAが作る「朝ごはん実行委員会」が平成17年2月、首都圏に住む小学5、6年生の男女50人に「現実の朝食」と「理想の朝食」を描いてもらったスケッチ調査では、朝食を食べるのは、いつも「1人」という子供は10人、「兄弟で」が23人で、朝食を親抜きで食べる家庭は、あわせて66%に及んだ。

ある小学5年生の男子は「現実の朝食」について、電車の中で一人でおにぎりを食べる絵を描いた。電車内には見知らぬ乗客の絵も描かれている。欄外にはひと言、「おいしいな」とコメントがあった。

通学中の電車の中でおにぎりを食べ、学習塾帰りにハンバーガーをかじる子供たち。そこには手本となるべき親の姿はない。ましてや冒頭のような親もいるとなれば……。

小島理事は「これでは、食べ物への感謝の気持ちが失われてしまっても仕方がない。私たちは動植物の命を“いただく”ことで生きているはずなのに。そんな単純なことさえ伝えられない時代になってしまったのでしょうか」と眉間にしわを寄せた。

「いただきます」のない一人の食事は、子供たちの心をも蝕んでいる。スケッチ調査で、子供たちの絵を分析した聖徳大学の室田洋子教授(発達・臨床心理学)によると、一人食べをしている子供たちの絵からは、引きこもりの子供たちが描くのと同じ表現力の乏しさや強迫観念といったものを感じるという。

例えば、「あこがれの芸能人との理想の食事」を描いたある小学5年女子のスケッチは、人について、丸と棒線のみで表現した、まるで記号のような無機質な描き方がされている。

「まわりの水槽やお花はきれいに描かれているのに、人からは、会話の楽しさや、生きている実感がまったく読み取れない。朝食での会話経験の不足から、楽しい食卓がイメージできない。絵に描けない」のだという。

これらは引きこもりや不登校など、対人恐怖症の子供に多くみられる表現方法といい、室田教授は、「食卓でのふれあいの少なさが、コミュニケーション能力の低下を引き起こしている。食事は体だけでなく、心にも栄養を与えるものでなければならないのに……」と嘆いた。

子供にとって、大勢で食事をする「最後の砦」、学校給食の現場も変わりつつある。

「最近では“遠足に行った(給食のない)日の給食費はどうなっているの?”なんていう小学生もいるんですよ」

給食の現場に詳しい学校食事研究会(東京)の阿部裕吉事務局長は、そう打ち明ける。そして、「親の影響でしょうが、子供の口からお金の話が出るのは、なんとも悲しい」と深いため息をついた。

お金さえ払えば、食べたいものが手に入る飽食の時代。阿部事務局長は「命はお金には代えられない」ということを子供たちに伝え、「いただきます」の精神を守らなければならないと訴える。

だが、学校給食のあいさつをめぐっては、以前から論議が絶えないのが実情だ。10年ほど前には「いただきます」と手を合わせることが「宗数的な行為」にあたるとして、保護者らから反対の声が出たこともあったという。

合掌の代わりに「気をつけ!」をしてから食べ始める学校、「いただきなさい」と号令をかける教員など、「違和感のあるあいさつ」(阿部事務局長)を行なう教室が増えたのもこのころだ。

「でも、“いただきます”は“いただきます”だと思うんです。置き換える言葉はない。例えば、英語では、ご飯を食べ終わることを“フィニッシュ”という。単に“終わり”という意味です。でも、そこには日本の“ごちそうさま”にあるような“ありがとう”の気持ちはないんです」と阿部事務局長は力を込めた。

「いただきます」が正しく言えない。そんな言葉の乱れが食の乱れを呼ぶのか。いや、食の乱れが言葉を乱すのか……。

宮崎県は平成17年11月から、食事の際に「いただきます」を言うことを奨励し食の大切さを再確認する県民運動に取り組んでいる。

その名も「いただきますからはじめよう宣言」。「コンビニ弁当が大量に廃棄されたり、食べ残しを気にしない子供たちが増えたり・……食が粗末にされるのは“いただきます”の精神を失ってしまったからだ」(同県営農支援課)という反省を踏まえ、もう一度、「いただきます」からやり直そうという試みだ。

伝統文化活性化国民協会の小島理事は言う。「八百万の神に代表されるように日本人は古来、食物を含め、すべてのものに神が宿ると考え、大切にしてきた民族。伝統を否定した戦後教育で薄れてしまったが、自然に感謝する“日本人らしさ”はまだ残っているはずだ」と。

そして言葉を続けた。「私だって、生きたエビに包丁を入れるときには“ごめんなさい”と思う。手作りをし、命をいただくという単純だが、大切なことに気づくことが、情けないことだが、現在の食育のスタートラインなのかもしれない」。
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