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豚の角煮と卯の花を食す/航空機トラブル

2014年10月24日 | 田舎生活の衣食住
 昨日は、冷たい雨の肌寒いいち日でした。
 仕込んでおいた豚の角煮と卯の花です。角煮が軟らかくてほのかに甘味もあり、美味しく出来ました。卯の花も、薄味で食が進みます。





 これではボリューム不足だったのか、このところの猛烈な食欲の為か、麦ご飯を一膳食べたのに、菓子パンも食べてしまいました。


 思い起こせるだけの航空機トラブルです。
 ユナイテッド機にて、私のシートが外れており滑り落ちる。成田出立前に乗務員に知らせると、直ぐさまメンテナンスの人が修理。しかし、離陸は遅れました。私のせいじゃないもんね。
 成田発香港行き。未だ東京在住時です。香港にコンサートを観るための1泊2日旅。当日のコンサートでした。しかし、天候不順で、マカオに着陸のアナウンスが…。コンサートがおじゃん(古っ!)かと諦めかけたのですが、無事香港啓徳空港に着陸出来、その足でコンサート会場へ。
 デンバー発ロサンゼルス行きのアメリカン・イーグル。前の便が積雪で離陸ならず。振替となり、我がアメリカン・イーグルは大混雑でした。しかも、前の便の搭乗員たちがまず乗り込むので、座席数は少なくなります。もはや早いもん順の椅子取り合戦。
 何とか無事にシートを確保出来たのですが、コンピュータシステムにも関わらず、座席に座っている人数を地上係員が数えて、補充するといった超アナログでした。
 ペナン島発バンコク行き。ペナン島へは、タイの労働ビザ取得の旅でした。その頃はペナン島が簡単にビザが出るので、そういったツアーが有ったのです。今はペナン島も厳しくなったようです。
 空港まではツアー会社のガイドが送ってくれましたが、空港入り口まで着くと、逃げるように帰って行ったのが不思議は不思議だったのが、チェックイン・カウンターで理由が判明。
 乗る筈の航空機がキャンセルになっていたのです。チェックイン・カウンターは振替便への移動の人の長蛇の列。にも関わらず、係員がコンピュータが使えねー奴で、右手の人差し指一本で探るようにキーボードを叩いているではありませんか。
 どうせコネ入社なのだろうけど。
 「何やってるんだよ」。「ほかの人に代われよ」。「時間がねーんだよ」。と日本語で罵倒しながらイライラする事数十分。振替便が離陸の時間になっているのに、未だイミグレーションも通れません。
 すると、「未だ大丈夫」だとか抜かしやがる。
 結局、マレーシア経由でバンコクまで半日遅れで帰れましたが、乗り継ぎの人や、乗れなかった人も結構いました。
 成田発香港便が、オーバー・ブッキングで、振替希望者を募っていました。こういう時、ツアーではない乗客がまずターゲットにされます。案の定、個人的に翌日の便への振替を依頼されました。
 その時は、日程に余裕があったので、承諾。見返りは、当日の成田のホテルと、日本初香港便の航空券1回分(この時以外の)でした。
 また、別の折りの成田発香港ユナイテッド便もオーバー・ブッキングで、その時は成田発バンコク経由香港着に変更。バンコクで一泊とあって快諾したのですが、バンコクに着いても空港内施設の宿泊所を宛てがわれ、出国成らず。そう、空港内しか出歩けなかったのでした。
 ただし、宿泊した部屋の中の飲み物はフリーとあって、鞄に詰めて全部持ち帰ったぜ。
 成田発バンコク行き便にて、バンコクで荷物を受け取ったところ、水浸し。もう深夜にも関わらず、文句を言う。インド人の係員が最初は取り合わなかったものの、こちらの剣幕に負けて中を改めると言うので、ナイロンの大きな鞄のファスナーを開くも、私はいつも荷物は衣類、洗面具、本類など全て小分けにしてビニール袋に入れているので、ほとんどが中まで水が浸透しておらず、係員曰く「問題ないじゃないか」ときた。
 ここで怒りが、沸点に到着してしまったのです。「それは私がきちんとしていたからだろうが。お前のところの航空機のミスに変わりはない」と、一歩も引かなかったところ、漸く、弁償のための書類を渡され、後日申請の運びとなったのです。
 その内容は濡れた衣類のクリーニング代や書物の価格などでした。クリーニングには領収書が必要。(クリーニングに)出していないので、そんな物もなく、そのまま。「分かれば良いのだ。分かれば」と納得してお仕舞い(笑)。
 成田発ニューヨーク行きユナイテッド機にて、食事のサービスの最中にエアポケットに入る。卓上のドリンクが波打って宙に飛び散るくらいの激しさ。
 フライトアテンダントは、サービス途中のトレイを床に這わせるように手放し、席に着いてしまう程の激しい揺れ。これは怖かったですね。何事もありませんでしたが。
 ノースウエスト機で、同じく食事のサービス途中で、フライトアテンダントの手がすべり、ミールをかけられた事がありました。
 今だったらただじゃおきません(笑)。クリーニング代を請求しますし、こんな時って最高級のシャンパンなんかをお詫びにくれるものですが、その時は、海外旅行3回目で、慣れていなかったのが悔やまれます。簡単に拭き取られてお仕舞いでした(笑)。
 最後は、自分のミスの話です。前の番にしこたま呑み、そのまま早朝便で成田から香港に日本航空で向かいました。
 すると、最終着陸態勢に入った瞬間に腹部に嫌な痛みが…。我慢、我慢。しかし、ついに限界に達してトイレに向かおうと立ち上がると、既にシートに腰掛けていたフライトアテンダントが直ぐに駆け付け、シートに戻るように指示されました。
 が、まさか飛行機の中で洩らす訳にもいかず。「駄目だ。限界」と言う私の顔からは冷や汗が流れる始末。
 すると、「しっかりと(トイレの中の)バーに掴まっていてください」と言われ、直行。
 すっきりしてトイレのドアを開けた時には、既に香港に到着していました(笑)。
 トラブルではありませんが、日系航空会社だったのに、たまたま隣に座った中国人と、たまたま似通った服装(黒のポロシャツに黒のパンツ)だったため、ペアと思われ、ずっと英語で話し掛けられていた事もありました。「面倒臭せー」。
 そうそう、成田で、搭乗まで計4回荷物を開けられ、最後は靴を脱がされ、コンピュータまで立ち上げさせられた事もありました。この時は赤いパスポートを持っているのに、ずっと英語で話し掛けられていたのも不思議。「もう乗せてくれなくていいよ!」の気分でした(笑)。
 ざっと思い出しただけでもこれくらい。また思い出したら第二弾を書きます。
 話は変わりますが、若い人はご存じないかも知れませんが、昔の飛行機は喫煙出来ました。禁煙席と喫煙席に別れており後部が喫煙席でした。
 ほかにも最後部では立って自由に喫煙出来ました。
 それが次第に禁煙モードに入ると、後部1列が喫煙席となり、その中の1~2席をフリーにしておき、ここに座って喫煙するのです。
 また、禁煙に関しても、フライト乗務員に委ねられており(多分海外の航空界社だからだと思う)、「この機は喫煙者(乗務員)が多いので(喫煙しても)大丈夫」と、最後尾で立って喫煙出来たりもしました。
 その頃は最後部に段ボールを重ねてテーブルにし、トランプ・ゲームをする人もいたり、機内ではかなり自由に出来たのです。
 飽きてフラフラ歩き回る人も居ました。
 今では考えられないくらいに自由だったのです。よって客同士のコミュニケーションも多く、長いフライトで退屈凌ぎになったものでした。懐かしいですね。
 






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