
巨福呂坂 切通し

(こぶくろざか きりどおし)
神奈川県鎌倉市雪ノ下2

巨福呂坂洞門。景色との違和感が出ないよう良く工夫されています。
鶴岡八幡宮から鎌倉五山の第一位に列せられた禅宗の古刹、建長寺へと抜けていく道の途中、アーチ状の落石防護施設「巨福呂坂洞門」を抜けました。ここは「鎌倉七切通し」のひとつ巨福呂坂切通し で、源頼朝公の時代の切通しは西の尾根にありました。現在の切通しは日本陸軍の軍馬通行の便をよくするために1886(明治16)年に新たに開いたもので、関東大震災で壁面が崩落したため改修され、車両通行が可能なルートになりました。今のアーチ状の施設は1993(平成5)年、切通しの風情を損なわないように設置されたものです。
鎌倉は三方が急峻な山に囲まれ、南にある由比ヶ浜の港も遠浅のため船団を使った強襲揚陸作戦も受けにくいという天然の要害の土地でした。鎌倉七切通しとは、その周囲の山から関東各地に抜けるために切り開かれた軍用連絡路です。非常に道幅が狭く、直角に折れ曲がったり道の真ん中に巨石を置いたりして、大群が動かしにくい造りになっていました。鎌倉幕府があったころの切通しは今よりもさらに幅が狭く、下り坂もぬかるんでいて鎧・兜に身を包んだ軍勢が攻めにくいようになっていたのだそうです。
実際、鎌倉幕府が滅亡に追い込まれた1333(元弘3)年、鎌倉に攻め込んだ新田義貞公の軍勢は主力を投入したにも関わらず化粧坂の切通し攻略に大苦戦を強いられ、わずか80mほどの切通しを抜けるのに4日以上かかったといわれています。ちなみに、「鎌倉七切通しとは巨福呂坂・亀ヶ谷・化粧坂・大仏坂・朝比奈・極楽寺・名越の切通しのことです。
アクセス
・JR「鎌倉駅」東口より下車、北東へ徒歩20分
・江ノ電「鎌倉駅」下車、北東へ徒歩20分
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