角宮神社
(すみのみやじんじゃ)
京都府長岡京市井ノ内南内畑35
閑静な住宅地の中にこんもりとした森。ここが角宮神社です。
〔御祭神〕
火雷神
(ほのいかづちのかみ)
玉依姫命
(たまよりひめのみこと)
建角身命
(たけつのみのみこと)
活目入彦五十狹茅尊
(いくめいりひこいさちのみこと)
弘法大師の開基といわれる乙訓寺。その境内の西側に接する道をまっすぐ北上していくと、道の交差する角に鎮座している神社があります。ここが角宮神社です。乙訓郡19座のひとつ、延喜式にもその名を連ねる乙訓坐火雷神社(ほのいかづち)がその前身といわれています。「山城国風土記」には、賀茂建角身命の娘である玉依姫が丹塗矢と結ばれ、上賀茂神社のご祭神である賀茂別雷神が誕生したという話が書かれていますが、この「丹塗矢」が角宮神社のご祭神である乙訓坐火雷神だといわれています。
乙訓の火雷神は「続日本紀」の中にも名を残しています。702(大宝2)年の出来事を書いた記事に、日照りのたびに「乙訓郡火雷神」に雨乞いをしたことが書かれています。それ以来、雨乞いの神さまとして度々書物に名前が見られるようになりました。
本殿の手前にある拝殿。その手前には磐座があります。
社伝には、512(継体天皇6)年に勅命を以って「乙訓社」が建てられて火雷神が祀られるようになったと書かれています。また、桓武天皇の勅命で玉依姫命、建角身命、活目入彦五十狹茅尊の3神が合祀され、「角宮乙訓大明神」と呼ばれるようになったことや、天皇の行幸があったことなどが書かれています。
乙訓郡火雷神はじめ4神を祀る本殿です。
1221(承久3)年に後鳥羽上皇が倒幕のために挙兵した「承久の変」では、東国から攻め寄せた鎌倉幕府軍の猛攻の前に朝廷軍は総崩れとなり、角宮乙訓大明神も兵火に巻き込まれて全てが灰燼に帰してしまいました。その後、社はなかなか復興が許されませんでしたが、1464(文明16)年に再興されたそうです。
社殿の右側に並ぶ摂社。
アクセス
・阪急電車京都線「西向日駅」下車、西へ徒歩10分。
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拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放