津門神社
(つとじんじゃ)
西宮市津門西口町14-15
東向きに建つ真新しい「神明鳥居」。伊勢神宮に代表されるデザインの鳥居です。
〔御祭神〕
天照皇大神
(あまてらすおおみかみ)
毘沙門天神
(びしゃもんてんじん)
八意思兼命
(やごころおもいかねのみこと)
菅原道真公ゆかりの松原天満宮に立ち寄ったのち、さらに東へと足を延ばした先で津門神社を見つけました。今はJR西ノ宮駅からまっすぐ南に下った津門西口町にある津門神社ですが、もともとは松原天満宮の隣に鎮座していたそうです。その名残りか、津門神社に隣接する源氏ゆかりのお寺・昌林寺の山号は松原山といいます。
漢羽呉羽の伝説の頃、半島から渡来した機織技術者たちが自分たちの祖霊神である大日如来を勧請して祀ったのが、津門神社の始まりといわれています。菅原道真公が大宰府への左遷の途中に美しい白砂青松の都努松原(つぬのまつばら)に立ち寄って休憩されたのが、大日如来を祀る祠の脇だったということなので、かなり古くからあるお社であることは間違いないようです。
西宮市保護木となっている大クスノキ。
津門大明神と称されて里人から篤い崇敬を集めたこの祠が現在の津門西口町のあたりに遷宮されたのは、旧社殿の上棟札から1754(宝暦4)年11月であることがわかっています。この頃はまだまだ神仏習合の時代だったので毘沙門天も一緒に祀られていましたが、明治に入り神仏分離の流れの中で天照皇大神を勧請して主祭神とするお社へと変貌していきます。 このとき脇殿に毘沙門天神と八意思兼命を合祀し、弁財天社や武光稲荷・愛宕社・白王社などを末社に祀るようになりました。
津門神社碑。古代の豪族・津門首の残した大塚古墳の蓋石を用いたもの。
津門神社の境内には、江戸時代の尼崎藩が建てた領界碑が残されています。江戸幕府は、大阪を西国の大名たちを監視する拠点と考えていて、大阪周辺の地域に天領(直轄領)や譜代大名・親藩大名などを配置していました。幕府統治が安定してくるに従って天領は譜代の大名たちに分配され、この尼崎・西宮のエリアは譜代大名である尼崎藩の領地になっていったのですが、製酒業などで発展した西宮地域から得られる税収を重要視した幕府によって、今津や鳴尾などのエリアの一部がふたたび天領となります。
複雑に入り組んだ領地の境界線を明確にするために尼崎藩によって建てられたのがこの領界碑で、現在この津門神社境内以外に西宮市段上町の西広寺と小松南町の岡太神社の3ヶ所で存在が確認されています。
拝殿に至る参道の脇にある領界碑。
アクセス
・JR「西ノ宮駅」下車、南へ徒歩5分
津門神社地図 Copyright (C) 2000-2006 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.
拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放