5月2日(土)
親父の墓参りからの続き。
かねてから訪れたかった処に行くことにした。
歩いてもよかったのだが、時間制約もあり
戸塚駅から江ノ電バスに乗った。
10分足らずで正門に着いた。
母校である。
母校といっても私が入学した頃は、横浜キャンパスなどなかった。
1967年入学の頃、三浦半島にキャンパスを作る噂が流れ
学内に反対運動を起きた記憶がある。
1985年横浜キャンパス開校は、卒業14年後のことである。
4月18日に同期会メンバーも横浜キャンパスを訪れたことはない。
緑生い茂る坂道の正門で、守衛に見学したいと申し出る。
OBであることを伝え、タッグを受け取る。
守衛さんが言った。
「建て屋に入ってはいけません」
「東京キャンパスよりずっと広いですから
一回りするのに30分はかかります」
爽やかな風が抜ける緑道をゆっくり上がった。
創立者の胸像が迎えた。
十字架のチャペルが見えた。
道路を跨ぐ橋があり、遠望橋と刻まれ
ここから、富士山 丹沢山塊が見えるのだろう。
大学行きバスで下車したのも女子学生だったが
キャンパスを歩いているのも女性だけ。
女子大と勘違いしてしまう。
私が在学していた頃も女性が多く
それもお嬢さんぽく、頭脳はそれ程でもないが綺麗な子が多かった。
調べてみると、52%が女子で、日本で一番女子の比率が高い大学なのだ。
だからといって男子が軟弱ではない。
でも 私が在籍した体育会山岳部は70年の輝かしい歴史があったが
部員がゼロになり廃部になった。
7人も遭難死すれば、危険すぎて入部希望者はない。
廃部は当たり前か!
私は横浜旧戸塚区の中学出身で
横浜のチベットと蔑称されるほど
山林だらけの田舎だった。
まさか、ここに母校が開校するとは想像すらなかった。
陸上競技場でやっと男子学生を見つけた。
今日は土曜日なので、なまけ男子は通学しないか!
あの時代、全共闘の立て看板がキャンパスを並び
シュプレヒコールの怒声渦巻いていた。
逝ってしまった同期に想い馳せる。
既に心の奥底に沈んでいたが、懐かしい。
15時 キャンパスを出て電車に乗った。
眠っていた、16時半 船橋駅着、
墓参りした同期とよく飲んでいた一平に入った。
生ビールと煮込みが旨かった。
今日はこれでおしまい。
歩数計
22.889歩
16.480m
749カロリー
3時間13分
異常でした。