Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

2013-10-11 02:27:52 | 文学
ノーベル文学賞の有力候補に挙げられていたスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさん。惜しくも受賞はなりませんでしたが、彼女の本の中に、次のような一節があります。

あなたは人々になにを与えることができるんですか。満ち足りた生活? 豊かなくらし? そんなものが私たちの究極な目標になるはずがない。人間のできがちがう。私たちに必要なのは悲劇的な理想。明るい未来という儀礼があった。そして悲劇的な理想もあった。それを踏みにじることはできない。取り上げることはできない。それは生きつづけるだろう。ま、しかたない。お書きください。いまは何でも書いてもいいし、みなが書いている、しかし文学といえるものはどこにあるんですか。私たちに起きているようなことが、どこにあるんですか。S氏の死ひとつでもいい。このような死は……。
                               『死に魅入られた人々』111頁。

この本は、ソ連崩壊に際して自殺してしまったロシアの人々を巡るインタビュー集。引用文にある「S氏」は、共産党員でした。彼の自殺について、別の党員がインタビューに応えているわけです。

一般に、ソ連崩壊という出来事、一つの社会主義国家の崩壊という出来事は、「われわれ」にとって見れば、積極的に歓迎すべきことだったとは必ずしも言えないまでも、少なくともそう悪いことではなかったと思います。もっとも、ソ連が崩壊したときぼくはまだ小学生だったので、当時どのような言説が飛び交っていたのかは知りませんが。

ところがソ連の内部には、冷静に考えれば誰にでも明らかなように、大変な衝撃(しかも悪い衝撃)を受けた人たちがいたのです。共産主義の夢を追っていた人々。依然としてスターリンを信奉していた人々。しかし国家は瓦解し、彼らは生活/人生の目標を失いました。

もちろん、自殺した原因を全てソ連崩壊に還元するのは短絡的すぎるでしょう。しかし、少なくともこの本は次のことを教えてくれます。つまり、外側から見れば善だと思える事柄でも、内側の人々からすれば、死にすら至らしめる可能性を孕んでいるということ。事物の二面性。

この本は一つのドキュメンタリーであり、フィクションではありません。しかし、優れた文学というものが唯一の真実を提示するのではなく、それどころか真実の相対性を示唆するものであるならば、『死に魅入られた人々』も間違いなく文学の中に位置づけられるでしょう。だからこそ、「文学といえるものはどこにあるんですか」という党員の問いは、その文脈を超えて、ぼくの胸に突き刺さります。