Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

絶望発-最悪行

2013-06-18 02:34:40 | Weblog
既に予兆はあったのかもしれない。本を運ぶ手伝いを頼んでいた人から、「この日は午後に予定が入ったので午前中にして下さい」という連絡が来たのは、一昨日のことだった。確かに彼を一日中拘束するつもりはなかったけれど、しかしかなり前から今日手伝ってくれるように頼んでいたのだから、直前になって「午前中でなければ他の日にして下さい」と言われたぼくは、憮然とするしかなかった。

已むなく午前に本を郵便局まで運びに行くことを了承した。そして今日、大きな荷物を抱えて寮の外に出ようとしたら、警備員に呼び止められる。大きな荷物を運び出すには専用の許可証が必要らしい。急いでそれを作りに4階まで駆け上がる。

許可証の一件は無事に済んで、寮の外に出たら、ちょうど手伝いに来てくれた人もやって来た。彼は大きなトランクを引きずっていた。そのトランクの中にぼくの本を詰める作戦らしい。本の量が余りにも多すぎて、一日ではとても運び切れないとぼくは考えていたので、これはナイスアイディアだと思った。ファインプレーだと。ただ、トランクを持って再び寮内に入ると、出るときにまた許可証が必要になるので(新たに作成しなければいけない)、それを忌避したぼくは、自分ひとりだけ部屋に戻って大きな袋に本を詰め、それを寮の外に運び出してトランクに詰め――という作業をする方を選択した。この作業を3往復繰り返し、遂にぼくの部屋から本が消えた。

全部で何キロあったのか分からないけれど、とにかくとんでもない重さと数の本を、最寄りの郵便局まで運んだ。随分前から雨が降り出していた。ぼくらは傘もささずに、無言で本を運んだ。口をきく余裕などなかった。あまりに辛くて挫けそうになったけれど、やっとのことで運び終えた。

そこでぼくは「日本に本を送りたい。段ボールを下さい」と受付に頼んだ。すると、予期しない答えが返ってきた。「ここでは箱は売っていない」。

段ボールがなければ本を送ることはできない。では一体どうすればいい?この大荷物を抱えてまた寮に戻れとでも?それはできない。この荷物をもう一度運ぶことは、絶対にできない。ぼくは尋ねた。「どこで段ボールを売っていますか?」すると、受付のおばさんは「○○通りの郵便局で売っている」と言う。ちなみに今ぼくたちのいる場所は「EMSの支店」であって、厳密に言えば「郵便局」ではない。その郵便局はそこから歩いて10分ほどの距離にあることを知っていたので、とりあえず手伝いに来てくれた彼を荷物番にして、ぼくがその郵便局まで行って段ボールを買ってくることになった。

郵便局には前にも行ったことがあったけれど、ひどく分かりにくい場所にあるため、今回も道に迷った。おまけに雨脚が強くなった。さすがに傘をさして、人に道を聞く。とうとう目当ての場所に辿り着いて、窓口に並ぶ。自分の順番が来て、「EMS用の段ボールを下さい」と言ってみた。すると「ここには売っていない」という返事。「本を入れられる段ボールなら何でもいいんです」と畳みかけたら、「ここにはない。あるのはこれだけ」と言って指差したのは、ティッシュ箱くらいの大きさの段ボール。ぼくの心は、この時点で既に挫けていた。最初はEMSの支店で「段ボールはない」と言われたとき。二度目は郵便局が見つからず、おまけに雨が本降りになったとき。そして三度目がこのとき。それでもぼくはこう言った。「段ボールはどこで売っていますか?」そうしたら、「17番地で売っている」という答えが返ってきた。EMS支店のあるのが18番地だから、その隣だ。ぼくはEMS支店まで戻ってみることにした。

手伝いの彼に事情を説明して、再び外へ。しかし17番地など存在していない。18番の隣が16番になっている。ひょっとしたら、郵便局では「18番」と言ったのを、ぼくが「17番」と聞き間違えたのかもしれない。ロシア語の発音はとても似ているのだ。すぐに踵を返し、EMS支店へ。そこで改めて尋ねてみる。「郵便局では箱は売っていない。ここで売っていると言われました」。すると、「ここでは、今まで、一度だって、箱を、販売したことは、ないわ」と、一語一語区切って言われた。ぼくの心がへし折れたのは、今日4度目。あるいは4度目の絶望。

大荷物を持ち帰ることはできない。かといってその荷物を入れる段ボールがない。ではぼくらはどうしたか?ビニール袋をもらうことにした。ここでは巨大なビニール袋が無料で配布されていた。その大きさに、ぼくは僅かな希望を見た。100冊以上のハードカバーを、ビニール袋に入れる作業が延々と続く。もちろん、本を入れ過ぎれば袋が破けてしまう。袋は小分けにして、二重にした。

ぼくらがそれを受付に渡そうとすると、何か分からないことを言われた。よく聞いていると、「袋の数が多すぎる、これでは金額が膨大になってしまう。段ボールに入れた方がいい」。そんな内容だった。「段ボールはどこにも売っていない」とぼくは言った。あんたが教えてくれた郵便局でも、ここでも、段ボールは販売してないんだ。おばさんは、こう言った。「段ボールはお店で売っているわ」。は?

「どういうお店で売っているんですか?」
「知らないわ。どんなお店でも売っているわよ。聞いてみなさい」
隣の受付のおばさんも口を挟む。
「朝早く行けば、お店で段ボールが売っているのよ。明日の朝行ってみなさい」

ふざけるな。段ボールが店で売っていることなどあんたらは最初一切口にしなかったし、だいたい明日では遅いのだ。明日の朝までこの荷物はどこに置いたらいいのだ?もう本は全てビニール袋に詰めて、口を締めてしまった。これを再びトランクに移し替えて、寮に運び、そしてまた後日この荷物をここまで運べと言うのか?

5度目の絶望。そのとき、知らないロシア人が日本語でぼくらに話しかけてきた。「あなたは日本人ですか?」と。

(救世主?)と思いながら、ぼくは「そうです」と答えた。彼が通訳になって、ぼくの主張を受付に伝えてもらった。そして受付側の主張も彼から教えてもらった。やはり、高額になり過ぎるので小分けにしたビニール袋は受け取れないらしい。でもどのくらい高額になるのか分からないので、とりあえず金額を教えてほしい、重さを量らせてほしい、とぼくらは必死に訴えたけれど、彼女は聞く耳を持たなかった。この時点で既に、手伝いの彼には午後の用事の時間が迫っていた。「もうすぐ行かなければいけません」と彼は言った。ぼくはもう気が狂わんばかりだった。今ここで一人になって、もし荷物を受け取ってもらえなければ、ぼく一人で大量の本を抱えて一体どうすりゃいいのだ?仮に荷物を受け取ってもらえても、高額過ぎて手持ちのお金を超過していたら、やはりその分の本を再び持ち帰らなければならない。それが大量にあったらどうする?「もう行っていいですか?何か問題ありますか?」彼は言った。「問題は大ありだよ」ぼくは自分の懸念を説明した。「でも用事があるんだろ。仕方がない!」たぶん、ヒステリックになっていたと思う。明らかにぼくは取り乱していた。通訳を買って出てくれたロシア人は、自分の用事が済むと帰って行った。「頑張って下さい」と言い残して。

結局、ビニール袋は小分けにせず、一枚の袋に大量の本を詰めることになった。たぶん、袋は自宅に配送されるまでの間に、どこかで破けてしまうだろう。本は散逸するだろう。それは、最悪の事態だ。何年もかけて集めた貴重な本の数々。もはや入手不可能な本もある。100万出したって入手できない本があるんだ。

彼はぎりぎりまでぼくに付き添ってくれた。約束の時間を1時間近くオーバーしてしまっているようだった。ぼくはこう思う。つまるところ、これは自分の判断ミスだ。事前に一度少量の本だけをEMSで送ってみればよかった。予行演習が必要だったのだ。ところがぼくは、ロシアでのEMSでの発送方法が分からないばっかりに、それを怠った。一度辛い思いをしてもいいから、まずは試してみるべきった。いきなり全ての本を送るのは、無理があった。危険すぎる賭けだった。そしてぼくはその賭けに負けたのだ。

本が失われれば、ぼくの研究人生――それはひょとするとまだ始まってすらいなかったのかもしれないけれど――は、もう終わりだ。終了。