黒ラブ賢と賢パパの薔薇と酒の日々・・・たま~に山

バラ園の仕事をする賢パパが愛犬の黒ラブ賢と飼い主の賢パパ&賢ママの日常をつづります。

これまでの山歩きを振り返ってみる

2015-05-21 04:24:24 | 登山・ハイキング
もう2ヶ月にもなろうと言うのに賢パパの腰痛は完治にはまだまだの状況であります。

それでも、最初の頃は朝寝床から起き上がろうとすると背中に激痛が走りましたが今ではそれはなくなって重いものを持ち上げようとしたり階段や登り坂を登ろうとする時に腰に痛みと言うか違和感があるぐらいなので日常生活においてはほとんど支障がありませんよ。

まぁ、それでも仕事は通常業務の3時間半が限度で4時間になると身体が悲鳴を上げます。

そんなわけで発症後の山歩きと言ったら1時間か2時間程度のゆるゆるハイキングが精いっぱいです。

じっとしていると良くないことを考えてしまいがちで「もしかしたらもう二度と富士山には登れないかも・・・?」なんて弱気な思いが浮かんだりもいたしますが・・・モチベーションだけは保っておきたい。

なので、昨日は過去の山歩きの記録を引っ張り出して来て賢パパの山歩きの歴史を振り返ってみましたよ。

昔ならいちいちノートに書き留めてそれぞれの記録にプリントした写真を貼り付けておいたのでしょうがPCのある今日では全く便利になった・・・ぢゃまいか。

お世話になっている「ヤマレコ」のマイページを開いてみれば・・・登録してあるだけで369件の記録があります。


記念すべき最初の山行は1969年と言いますから大学生時代の朝日連峰縦走であります。


当時はデジカメなんてありませんでしたから写真は勿論プリントしたものをデジカメで撮影して投稿。


頭のてっぺんからつま先まで装備は全て友達からの借りものでしたねぇ。

で、次の山行はその2年後の同じく学生時代の蔵王山日帰り。


学生時代の山歩きはこの2回だけでしたがどちらも友達に連れて行ってもらったものです。

大学を卒業して横浜にある会社に就職しましたがここでは山とは無縁な暮らしで・・・転機が訪れたのは2年後の静岡転勤。

近場に良い山がたくさんあって登る山には事欠きませんでしたがカメラを持っていなかったので写真がない。


誰かに連れて行ってもらった時でメンバーの中にカメラを持っている人がいた時だけ写真が残っていますよ。


その山歩きも1982年の南アルプスでの越年登山を最後に一時中断。


その理由は「結婚」でしたが・・・子育てが終わった2001年に50歳を過ぎてからの再デビュー。


もうデジカメはあったと思いますが・・・賢パパはまだ持っていなかったようですね。

その後2003年に初めて富士山に登ってから本格的に登山を再開。


蓼科山や北岳を手始めに


日帰り出来そうな山を探しては片っ端からやっつけました。(と言うのは大げさです)


初めての富士山が素晴らしい天気に恵まれたのにカメラを持っていなかったばかりに写真が一枚も残っていなくて悔しい思いをしたのでデジカメを買っていただきまして・・・その後の記録には写真がちゃんと残っています。

再開後の山歩きと言えばもっぱら賢パパ一人で登っていたのが・・・いつの間にか同行者が出来ましてこれが賢のデビュー戦は安倍奥でしたね~。


賢ママも若いころに富士山には登ったことがあるとかで・・・昔取ったなんとやらで登ります。


これで賢ママを仲間に引きづり込むことに成功して・・・念願の甲斐駒にも登りましたっけねぇ。


その後たむちゃんと言う心強い助っ人が現れて・・・単独では厳しいかなぁという時にはいつも助けていただきました。


更にたむちゃんつながりで仲間に加えていただいた「呑んだくれ登山隊」の皆さんですが・・・山の後は打ち上げ会を行うのが基本であります。




そしてとうとう愚息まで仲間入りを果たしまして・・・結婚30周年の記念登山は家族で富士山。


こうして振り返ってみますと・・・なかなか良い山歩き人生を歩んで来たものです。

これも良い山と良きパートナーに恵まれてこそと感謝に堪えない賢パパであります。