外に無く、内に有ること。

美を感じること、自然に生きること。

クレディ君、あとはまかせたよ。

2010-03-15 03:43:00 | 日記


今日はとうとう「レオナルド」、あれ?ダ・ヴィンチでないんだ。
どちらがしっくりするかと言えば、ダ・ヴィンチですね。

ダ・ヴィンチについてはこれまでも書いてきましたが、もちろん大好きです。
しかし作品の帰属でダ・ヴィンチ作のものがどんどん少なくなっている。
ヴェロッキオ工房の少し後輩のロレンツォ・ディ・クレディに帰属されることが多くなった。
かなり以前にダ・ヴィンチの伝記映画で、ダ・ヴィンチが入門したときにクレディだと思われる少年が工房を案内する場面があったが、調べるとクレディは7才下なので違ったのかも知れませんね。
でも、ダ・ヴィンチが入門したのは遅く15才くらいだったので、クレディがすでに入門していた可能性もあるので若くても兄弟子なのかも。
そしてヴェロッキオ工房はクレディが継いだらしいので、クレディちゃんは長いこと頑張ったんだね、エライエライ。

ダ・ヴィンチが入門した頃は、ヴェロッキオ工房にはスゴイ先輩たちがいる。
7,8才上にボッティチェリ、3才上にミケランジェロの師となるギルランダイオ、2才上にラファエロの師となるペルジーノなどがいたのだ。

こんな連中が先輩にいたとなると遅い修業スタートのダ・ヴィンチが少しくらい頑張ったところで良い仕事はこないだろう。
そこで新しい技法の研究に没頭するしかないと彼は考えたのではないか。

ヴェロッキオがダ・ヴィンチの絵のうまさに驚嘆して絵筆を捨てたと、伝記などにかいてあるが、ヴェロッキオは元々彫刻が主体なので、単に絵画班が充実したので彫刻に専念することになったのだろう。
それにその話の元になった「キリストの洗礼」もヴェロッキオではなくボッティチェリとの共作という説や工房の絵画見本でいろんな人の合作という説も出てきている。

ダ・ヴィンチのヴェロッキオ工房での制作は、彼とクレディが協力して進めるということが多かったのだろう。
そのうちにダ・ヴィンチは研究にのめり込んで、作業はクレディまかせという次第になっていった。
それでクレディ・タッチが表面に出てきて、帰属があやふやになっているですね、きっと。

解説の下村寅太郎は、ダ・ヴィンチの言葉を引用していわく、

「画家は万能でなければ賞賛に値しない」。