外に無く、内に有ること。

美を感じること、自然に生きること。

ああ、なんてカワイイ遠近法。

2010-03-10 09:03:13 | 日記


ファブリから今日は「ウッチェロ」。好みのタイプです。
マサッチョの真面目な遠近法からみると、ウッチェロの遠近法はカワイイ。

遠近法がカワイイという表現はおかしく聞こえるが、マサッチョなど普通の画家は絵画空間をリアルに見せるために利用しているのに、ウッチェロの場合は、遠近法を見せるために絵画空間を利用するという本末転倒という思考に原因がある。
描かれた人物は人形で馬は木馬のよう、全ての配置を遠近法のために都合のいいように構成する。
視覚的には3Dソフトで制作したものをアニメ風にレンダリングしたという感じだ。

純粋に何かに夢中になると、そこには現実から遊離した幻想世界が出現する。
それはすごく小さな日常にも存在しているはずなのに、観えてはこない。
そんな様式を作るのではなく、そのような世界が観える眼を持つことだ。
ウッチェロはそんな眼を持った画家だった。

友人の彫刻家ドナテロに絵を嘲笑されて、絵筆を捨てて遠近法に没頭したといわれているが、そのドナテロも建築家ブルネルスキにキリスト像をダサイと嘲笑されるだけでなく、代わりの彫刻を制作されてガックリすることになるのです。
人が一生懸命にやったことは安易に批判は出来ませんね。

ウッチェロは晩年、「年をとり、生活の手立ても仕事もない」と役所に申告していると書いてある。
ダ・ヴィンチも晩年は、イタリアでは就職もないのでフランスに行くことになる。
芸術を職業にするということは、才能の有無に関係なく、いつの時代もたいへんなことなんだろう。

ウッチェロに関して、辻佐保子いわく、

「錬金術師のごとく「甘美なる遠近法」を追い求めた画家」