外に無く、内に有ること。

美を感じること、自然に生きること。

人形はヒトガタ

2009-06-30 16:05:33 | コラージュ


イラストは人形をテーマにコラージュしたものです。
人形はニンギョウと読めばカワイイですが、ヒトガタと読むと、少し怖い感じがしますね。
その二重性が私には興味のある部分です。

人形に魂はあるのでしょうか?それは人に心があるか?と聞くようなもの、何かのカタチになったものは必然的にそのカタチの魂が宿る。
だから、仏像にはそのカタチにふさわしい魂が宿り、キリスト像にはキリストの、マリア像にはマリア様の、それにふさわしい魂が宿っている。
そう考えないと、美術は在りえない。絵画はタダの顔料が接着したものだし、彫刻も木かブロンズか大理石のカタマリに過ぎない。

魂は不滅だがカタチに依存する。
貴方の魂は貴方のカタチに宿る、私の魂は私のカタチに宿る。
宇宙より自分のカタチを与えられ、それにふさわしい魂へと変化する。
次に私はどんなものに変化するのだろう。そしてどんな魂を持つのだろう。
それまでは今のカタチの中で頑張って生きていきましょうね。

フォトモンタージュの話しはまた次回かな?さあ、仕事やろうっと!


すべての絵画はコラージュである

2009-06-29 00:30:30 | コラージュ


イラストは仮面をテーマとしたエッセイに付けたものです.
このブログもひとつの仮面なのかも知れないね、知ったかブッタの仮面。ブーブー。

エルンストのコラージュに到る迄の歴史的に重要なものに,チューブ絵具の発明があるように思えます.
それまでは絵具は,顔料を擦り,展色剤(接着剤)で練って絵具を作っていた.
要するに「絵画とは顔料を画面に接着させるということ」である.
この時点ですでに微細な視点では「すべての絵画はコラージュである」ともいえるのか?

印象派などの野外製作はチューブ絵具と共に盛んになる.
チューブ絵具はかなり粘度の高いもので有ったのだろうと思います.
それによって絵具の定着がよくなり,点描技法などの発展もあったのではないか?筆だけでなく、直接チューブで描く、パレットナイフで塗り込む。
色を置いていくという感覚が自然と浸透していく基盤となり,そこにセザンヌの色面の分割による構成的な画面が,キュビズムを生みだす。
そうして色面の構成の中で質感のコントラストを求めるために,パピエ・コレという貼り絵の一種が誕生することになる.

エルンストはパピエ・コレの中に新しいイメージの可能性を見出し、コラージュへと発展させた。
これが私の考えたストーリーですが、どうですか?
でも、道には常に横道がつきもの、コラージュにも、他にダダイズムからのフォトモンタージュのものがあります。
そのことは、またあした、、、


コラージュの魔法

2009-06-28 00:20:34 | コラージュ


イラストは古い洋雑誌などの挿絵の復刻本を切り抜いて貼り合わせて作りました.
この手法はコラージュと言われるものです.

「コラージュって,自分で描いてないの?」 「はい,描いていません.」
「え~それって自分の作品って言っていいの?」 「非常に良いご質問です.」

コラージュのことを考えるのは美術の根源に触れる面白い問題です.
今日から12回でこの事を考えたいと思います.

まずは一回目はコラージュは誰が始めたか?
日本でも平安時代に料紙の中の「継ぎ紙」などの工芸がありますが,今回はコラージュと言う概念とは少し外れるので触れません.
工芸と美術と分ける必要はないのですが,分けて考えないと現代は美術の方が困ってしまうことがあります.
工芸はあくまで実体のある、その物の美しさを追求するものですが,美術はイメージさせればいいので,実体が無い物も在る訳です.
「作品が無い美術なんてあるの?」 「沢山あります.現代美術には実体としての作品は必要条件ではないのです。」

マックス・エルンストがコラージュを始めたということになっています。彼は本当の意味でのシュールレアリスムを体現している。
マグリットやダリはそれを絵画に応用したシュールレアリスム風というもの。
自分で完全にはコントロール出来ない手法を用いるところで新しいイメージが出現するのがシュールレアリスム。
エルンストはフロッタージュ、デカルコマニー、そしてコラージュでそれを成し遂げている。

今日はこの辺で、、、またあした。


大切なものはささやかなもの

2009-06-27 08:21:21 | 西洋美術


このシリーズ最終イラストは、「色んなことに憧れながらも、傍らのささやかに見えるけど大切なもの(カエル)も見つけたいね。」と言う感じ。
美術で言うと現代は様々な様式があるけど、大事なところは原初的なところにあるのかな?と思う。
女の子とカエル以外の周りの物のイラストは古い挿絵の複製されたものをコラージュしています。次回からはこの手法のイラストを紹介します。

ちょっとメルヘンチックなのは結局基本的には、大人になっても、老人になっても、心の中(頭の中も)は子供の頃(小学校高学年くらい)から変わらないということです。
だから、子供というのは小学生か、どうにか中学生までで、それ以後は五十歩百歩、大して変わりはありません。
でもそれって私だけ?そんなことはありません。私の周りにはそんな人ばかりです。ただ大人の着ぐるみを着ているのです。
(だから、時々無性に脱ぎたくなってお酒など飲んだりして、、、)

西洋絵画史をチョットだけ、点々と辿りましたが如何でしたか?脱線が多くて全然辿れていなかったね。
本当は古代壁画などから、始めたいのですが、それはまたいつかということで、、、
日本美術を辿るというのは、何処へ行ったのでしょう?それは2週間後くらいに復活します、、、きっと。


ロンドンの膝小僧

2009-06-26 02:56:15 | 西洋美術


ポップアートをテーマとしてイラスト化しています.
背景はリキテンシュタイン風,手前はオルデンバーグの「ロンドンの膝小僧」(ネットで確認しようと思ったけど出来ませんでした、間違いだったら失礼!),ポップの名前の由来の「ロリポップキャンディ」を合成しています.
少年は私の分身です.ポップアート全盛期は1960年代,私の小中学生時代です.その頃は,そんな事に気付きもしませんが...

小学生の頃,東京オリンピックで外国を知り,父の助手席のカーラジオで,ビートルズの「抱きしめたい」を初めて聴き,洋楽に目覚めました.
それ以前は,御三家といっても,橋幸夫,舟木一夫,西郷輝彦のほうですが,そんな歌謡曲が大好きで、ゴザ帽子(雪ン子人形が被っているゴザで出来た頭から被るコートのようなもの)を着て、「潮来笠」など,口ずさんでいる小学生でしたよ.

中学生の頃は,ポップアート末期のサイケデリックアートの時代でした。
その頃、始めてレコードを買いました.カルメンマキの「時に母のない子のように」それと「ミュージックライフ読者が選ぶローリングストーンズ・ベスト」。
「ミュージックライフ」は毎号読んでいて、そこに載っていたマリアンヌ・フェイスフルに恋し、学生手帖に切り抜きを入れていたなあ。

もう一人、現実で恋していたのは、中学3年の時、隣のクラスの女の子。
彼女は生徒会図書委員長だったので、私に読書週間のポスターを頼んできたのです。
それで描いたのが、サイケデリックのピーター・マックス風に、マリアンヌ・フェイスフルの横顔を中心にして、虹色の髪が渦を巻いて読書週間の文字になるというとんでもない物に成った訳です。中学生が格好付けようとして行き過ぎたようです。田舎の中学の玄関に貼られたポスターは完全に周りから浮いていました。
今考えると、それが私のポップアートのチョッピリ塩辛い涙の思い出となったわけです。