外に無く、内に有ること。

美を感じること、自然に生きること。

リッポ・リッピ・リッピーノ。

2010-03-13 11:26:26 | 日記


今日は、「フィリッポ・リッピ」。
名前の響きがとてもカワイイですね。

彼は「フラ・フィリッポ・リッピ」と呼ばれることもある。
そうです、フラ・アンジェリコと同じく修道士画家だったのです。
そして先生もおなじロレンツォ・モナコらしいので後輩弟子になるのです。

ですがアンジェリコの中世的な敬虔さはちょっと失われていますね。
ここでもマサッチョの影響があるので、現実的な描写が神聖な感じをどうしても損なうのです。
今のアニメでも現実感を高めようと3Dを多用して、アニメのファンタジー感が失われるのと同じ感じ。

でも女の人の美しさはルネッサンス一番かも知れません。
彼の弟子といわれるボッティチェリのほうがという意見もありますが、リッピの輪郭の線の生かし方が私は好きです。
これは画材の違いによることの影響もあると思います。
リッピの画材はフレスコと板絵のテンペラでしょう、ボッティチェリもフレスコの場合は線描が生きていますが、後期の板絵テンペラの場合は油彩の技法が少し入ってきているらしいので線描よりも明暗が強くなって、二次元の美しさが弱まってしまうのです。

リッピは、この表紙絵のモデルの尼僧ルクレツィアに恋して、誘拐してしまうのですが、才能を惜しんだメディチ家のとりなしで、許されて結婚するのです。
そして生まれたのが、ボッティチェリの弟子になる、またまたカワイイ名前の「フィリッピーノ・リッピ」なのです。

ずばぬけた才能があるものは、大抵のことは許される、という見本のようなお話ですね。
こんなことから芸術家なら何でも許されると思ったら大間違いです。
才能を勘違いをして苦笑されるだけならいいですが、人の迷惑や犯罪にならないようにお願いしますね。

フィリッポ・リッピについて、解説の久保尋二いわく、

「ゴシックとマサッチョ的造形の結合にたつ情感の画家」