外に無く、内に有ること。

美を感じること、自然に生きること。

ああ、いとも美しき無表情。

2010-03-11 02:56:00 | 日記


今日は「ピエロ・デラ・フランチェスカ」、絵画の頂点を極めた一人です。
彼はルネッサンス美術のなかで、ダ・ヴィンチを除けば最も知性を感じさせる画家である。

知性のある人は他にも多いかも知れないが、絵から感じさせなければ画家として意味は無い。
ピエロは、はじめは幻想的なサセッタから手ほどきを受け、情感豊かなドメニコ・ヴェネツィアーノの助手だったらしい。
二人とも最高に感性の豊かな画家で、いい師に付いていたんですね。
画家の有元利夫はピエロから強く影響を受けているが、ピエロの知性よりも、この二人から受け継いだ感性からだろう。

昨日のウッチェロと同じくマサッチョブームの影響の中で遠近法を学び、そして絵画の遠近法を超えて幾何学としての透視図法の研究に没頭していく。
感性で遠近法を愛したウッチェロは絵画に中に留まったが、知性から愛したピエロは透視図法という数学の分野に足を踏み入れている。

ピエロの絵画は完全に均整のとれた絵画空間を作り上げたが、問題は顔が可愛くないことである。
それは欠点でもあるが長所でもある、というのは無表情な顔は仏像と同じで荘厳さにつながっているからだ。

欠点といったのは、せっかく素敵な絵なのに、ちょっと一般受けはどうかなと思っただけ。
でも今は大丈夫、だって顔のタイプが「アバター」の原住民キャラクターに似ているんだもの。

解説の新規矩男は、引用していわく、

「非個人的で無感動な芸術の魅惑」(バーナード・ベレンソン)

今思いだしたんですが、ベレンソン自伝の肖像写真で、背後の壁にドメニコ・ヴェネツィアーノの聖母子の絵が掛かっているのを覚えている。