外に無く、内に有ること。

美を感じること、自然に生きること。

革新は、伝統となる。

2010-01-31 11:44:08 | 日記


今日も京都書院アーツコレクションの第1巻、「のしめ/江戸時代の縞・格子・絣事典」。
昨日も今日も絶版の本、なぜなら京都書院は1999年に倒産していて、在庫は他社が販売を続けているみたいですが、新たな出版は難しいのでしょう。

神保町では半額くらいでこのシリーズが売られているのを目にしますが、出ているのは全251巻のうちの面白いと思うものは少ない。
ネットで調べるとかなりの本が絶版になっている。

この「のしめ」を観ていると、まるで1970年代の現代美術を観るよう。
縞・格子は、ライリー、ルウィット、ノーランドなどの、ミニマルアートを思わせます。
絣は、リー・ウーファンのようなスピード感のあるペインティングのようだ。

ロマン・ロランいわく、

「革命的な人々も、知らぬ間に、
 最も古い伝統的な人間となる。」



意図は無くとも、美は出ずる。

2010-01-30 10:12:21 | 日記


今朝テレビで伝統職人の跡継ぎの特集をやっていて、京都の唐紙屋さん「唐長」が出ていた。
そのお店の本は持っていたな~と探したのが、「唐長の京からかみ文様譜」。

唐紙の版木は江戸時代から受け継がれたものだという。
そして色の顔料は赤青黄の三種類だけを混ぜて作るのが特徴らしい。
そうすると必然的に彩度は少し落ちてくるのが良いのだろう。

受験浪人の頃、友人のY君は落ち着いた色彩構成が得意だった。
どうしているのか聞くと、「筆を洗う水を換えないだけだ」という。
見ると筆洗が灰色の泥水のようになっている。
これで自然と灰色が混ざり、彩度の落ちた配色に統一された訳だ。
面倒くさいのか、意図的なのか、謎のままだ。

ロダンいわく、

「芸術家にとっては、一切が美である。」



美を見出す心

2010-01-29 12:01:20 | 日記


最近は雲を見ていることが多い。
台所で何かしていて窓の外に面白い雲が見えると、二階に上がり写真を撮る。
雲がちょうどその方向に流れていくからだ。

でも二階に行って見ると、もう既にさっきの面白いカタチは消えている。
似た様な不定形なものでも、面白いと思わないものになっている。
何処がどう違うのか解らないが違うのだ。

人の心にもそんなところがある。
一瞬のあいだに感動する心を逃してしまう。
もう二度とそれと同じ感覚は戻ってこないだろう。

今日もゲーテいわく、

「自然の法則は、美によって見出さなければ、
 永遠に隠れたままでいるだろう。」



「夢のくに」でなく、「湯のくに」

2010-01-28 11:01:27 | 日記




今日は先日の日曜にサイクリングで那谷寺に行こうと挑戦した途中に引っ掛かってしまった「ゆのくにの森・伝統工芸村」。
ブログに書く今まで、「ゆめのくにの森」だと勘違いしていました。

その中には、「九谷焼の館」「友禅の館」「輪島塗の館」「和紙の館」「金箔の館」など伝統工芸に混じって「お菓子の館」も。
でもお菓子でお家が出来ているんではないですよ。

色々な伝統工芸の体験が出来るのが売りみたいですが、「お菓子の館」では何故か「手づくりどら焼き」。
食事処もあるのですが、2時半か3時までで終わりって早すぎ。
施設全体も4時半で閉館。
粟津温泉街の近くなので、お昼専用なのです。
で今回は「栗よせ」という蒸し羊羹を買って、帰りにつきました。

ゲーテいわく、

「人間というものは、自分の欲するままに行動しても、
 結局は、自分によってあらかじめ計画した道にもどってくる。」



冬の散歩道、ラララ、ララン、ラン

2010-01-27 09:23:18 | 日記




今日は良い天気なのでサイクリング、木場潟公園へ。
石川に帰ってから徒歩で一度来た所ですが、今回は自転車で一周して見ました。

一周6.4キロと書いてあるが、皇居5キロよりかなり広く感じる。
ウォーキングの人がかなりいますが、ここまでは自動車で来ているみたいです。

何もない平面的風景に空と水だ。
久しぶりに、とても清々しい気持ちになりました。

イサム・ノグチの父である詩人・野口米次郎いわく、

「地と空の歌が、人間の歌と一つになった声を聞く。」