外に無く、内に有ること。

美を感じること、自然に生きること。

それではまた。

2009-11-23 10:50:41 | 日記


写真は新宿御苑での光景です。
初めて一日に二度アップしたのは引っ越しに専念するためで、今日でブログを一時休止します。

石川県に引っ越して、午前中はデジタルな仕事をして、午後はアナログに絵を描いて暮らせたらいいですね。

ゲーテいわく、

「人は多くを願うが、彼に必要なものはごくわずかなものである。」

12月の始めに再開予定ですので、どうぞよろしくお願いします。
土地が違うとブログの内容も変わるかも。



老いても子に従わないぞ!

2009-11-23 10:24:08 | 日記


写真は皇居お堀のカモの親子を撮りました。
子ガモには色んなタイプがいそうですね。

親と競おうとするタイプ、
親の後ろについていくタイプ、
上の兄弟に従うタイプ、
皆から少し離れているタイプ、
アナタはどのタイプでしたか。

先日、娘に「私はアナタに何をしてあげられたかな?」と問うと、
娘いわく、

「プレッシャーが無くて良かったよ。
 お父さんが立派な人で無くって!」



私のピグマリオン伝説

2009-11-22 09:24:34 | 日記


写真は皇居乾門そばにある野外彫刻「森の調べ」です。
若い女性の希望に満ちた表情が凛々しい感じを伝えます。

私の音楽に関する想い出は、転校生の女子は楽器が出来るということ。
これは小学生の時のことですが、4年生のときに転校してきた子はピアノを弾き、5年生のときの子はフルートが吹けました。
音楽への憧れが、「転校生」という言葉の響きに、憧れを感じるさせるのだろう。

でも私の初恋に近い想いは、現実の人間ではなく、レリーフ、それも小学校の美術の教科書の小さな写真。
エジプト美術で二本に分かれている笛を吹く少女の横向きのレリーフでした。
この写真の笛も二本になっている。
レリーフの少女が、半世紀近く経って、やっと三次元の立体になった感じだ。
しかし、現実にこんな笛を吹いているのはまだ見たことが無い。
現実になるのは、あと半世紀待つしかないのか?
そうだ、タイムスリップがあるじゃないか、ヨカッタ~。

さて現実に戻って、
中国の文人、張潮いわく、

「美人は人語を解するから花にまさり、花は芳香を放つが故に美人にまさる。
 両手に花といかなければ、匂う花を捨てて、ものを言う花をとれ。」



悩みを趣味とする。

2009-11-21 06:32:31 | 日記


写真は皇居北の丸公園の剪定された樹木です。
かなり大幅に切り取られていますね。

庭木などはある程度になると建物のジャマになったり、他の植物の障害になったりする。
そこで剪定するわけだが、決断力がいることだろう。
だろう、と言ったのは剪定したことがないからである。

街路樹などの剪定はパターン化するものなので、悩まないですむ。
人はパターン化された行動で悩みから解放される。

盆栽などは悩むことが趣味となるのだろう。
庭仕事で悩むことは自然から学ぶことでもある。
学ぶことは、悩みを趣味とすることだ。

庭仕事といえばこの人
ヘルマン・ヘッセいわく、

「木と話し、木に耳を傾けることを知るものは、真理を知る。」



失われた時が、そこにある。

2009-11-20 04:50:32 | 日記


写真は何処で撮ったのか、記憶にない。
ただ揺られるだけで楽しかった子供のころの単純な遊具。
何か懐かしいような、また切ないような気持ちにさせられる風景です。

保存しようという気持ちではなく、自然に大切に使われている。
古いものを大切に使うことは、それに込められた想い出も残すこと。

住み慣れた場所を離れるのは寂しいことだ。
私の存在を認めてくれる人たちと離れるのは辛いことだ。

江戸時代幕末の頃、交通手段も馬やカゴや徒歩で、薩摩、長州、土佐の藩士が、あれだけの行動をしていたのは驚くべきこと。
ドラマなどでは、西郷隆盛が江戸にいる場面のすぐ後に、薩摩にいる場面があるが、その間、どのくらいの距離と時間があるのだろうか。
通信も早飛脚で一週間くらいかかったのだろうか?
それに比べたら、通信手段はEメールで瞬時、今の東京~石川の距離など無いに等しいはずなのにね。

論語より、

「友あり、遠方より来たる、また楽しからずや。」