稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.24(昭和61年1月27日)剣道修養の仕方、他

2018年09月19日 | 長井長正範士の遺文


○剣道修養の仕方
それは正眼の構え、姿勢、態度の立派さ、正しさから始まるのである。
次に大事なのは、呼吸と手の内である。
即ち腹の落着きと手の内のしめ方(打ち方)と一致しなければならない。

構えた時は下腹、間合に入った時は中腹、打つ時は上腹と変化する。
いつまでも一ヶ所に力を入れっ放しではいけない。抜くこと大切。

このように腹と呼吸の稽古は長続きし、老いて益々上達する。
力まかせの剣道は老いて力量が衰え、若い低段者にポカポカと叩かれ、
弱くなるのがせきの山である。(№9、10、11参照)

○正眼の構えは上段の構えから考えてみること。
先ず上段の構えの両腕の張り方は富士山を象(かたど)る。
心は雄大なる富士山の頂上から見下ろし、相手を呑む。
(進んではわがふところを大きくして愛をもって相手を包み入れる気持)以上の心構えで、
上段から力を入れることなく。自然に正眼に下ろす。これが正眼の構えの心がけである。

両脇の下はかすかにあいて(卵をかかえて、わらず、又あきすぎて卵を落としてわらず)
から左拳は素手で握りこぶし二つぐらい下腹から前に
(小手をはめた拳なら一握り、らくらくと離す)離して正眼に構える。

即ちふところの大きい構えでなければならない。
剣道ではこの「ふところ」の操作が特に大切であり、
これが日常生活につながる大切なところである。

註:「ふところ」例えば、あの人はふところの大きい人だ
(心の広い包容力のある人だ)と言われるような人間でなければならない。

○摺上げについて
相手が小手を打って来た時の摺上げは右拳でやるが、
その主役は人差指、中指、親指の三本であり、他は(左拳の指全部も含む)力を入れない。

但し、摺上げて打つ時は主役は交代する。
例えば日本剣道形六本目の仕太刀の摺上げの時、又、相手が面を打って来た時、
われ左の鎬で摺上げる時は左拳の中指(髙たか指)が主役である。

日本剣道形小太刀一本目、二本目の仕太刀の受流しは
親指と人差指の二本が主役で打つ時は小指、くすり指、中指が主役となる。
このように指一本一本の働きがその目的に応じて皆違うことに留意すべきである。

われわれは剣道は心身の鍛錬と口では簡単に言うが、果して、
剣道でどの時に心がどの肉体の部分に働いて錬ってゆくかよく研究せねばならない。

○数字を離れた剣道はないと言うこと。(№8も参照のこと)
竹刀を握る左手の各指の度合は小指から四、三、二、一(人差指)である。
又、左足の踵をあげる度合は、たなごころ七分、踵が三分の力である。
大自然はすべて数字から成り立っている。
故に数字から離れたものは何一つないのである。
剣道も亦、大自然に溶け込んだものである限り、数字から離れた剣道はあり得ない。
この項終り
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