稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

何も決定しないことは、誤った決定よりもなお悪い。

2019年05月08日 | 藪下雅治「きっと心得帖」


ちょうど1年前に、経営コンサルタントの藪下雅治先生の事を書いた。

籔下雅治(やぶしたまさはる)きっと心得帖
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20180508

何か書こうと思って1年が過ぎてしまった。
時々は何かしら書いていきたいと思う。

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プロフェッショナル きっと心得帖 5章「リーダーシップ」の19番。
何も決定しないことは、誤った決定よりもなお悪い。

以前の職場(衣料問屋、F社)で部長になり、初めて会社の役員会の書記をした。
30代の終わり頃だったと思うが、かなり張り切って参加したことを憶えている。

内容は拍子抜けで、レジュメ(発表用の要約)以上の内容は無く、
最後は数名のウンチク自慢で終わってしまう事が多かった。
方針も何も無い。叱咤も激励も無い。

当時、特に気になって心配していたのは、
「いちばん商品」というブランドらしきものを、
全社をあげて開発しようという時期であったことだった。


(写真はF社の肌着部門の「いちばん商品」の一つ)

全社一丸で取り組むべきもののはずなのに、
実質は、商品開発を各部門の商品担当者個人に任せっきりで、
総合的統合的に商品群を組み立てようという具体的な計画が無い。

あまりに不安になって営業担当のYという常務取締役に、
「いちばん商品はブランドですよね?」と聞いたら「ブランドでは無い」と言う。
少なからず驚いたが、ようするに「ブランドは作るのではなく、
育っていくとブランドになる」ということらしい。
頑張っていれば強くなるという発想だ。

何を言ってるのかさっぱりわからなかったが常務には歯向かえない。こっちは部長だ。

そんなわけで、せっかくのブランドに成るべくして取り組んだ「いちばん商品」も、
タオルはタオルの部門、肌着は肌着の部門、靴下は靴下の部門、
それぞれ、てんでバラバラに開発してしまった。
客層も価格帯も品質も不明瞭な商品群が出来が立ってしまったのだ。

商品開発者ごとに、想定する消費者や生活シーンがバラバラなのと、
依頼するメーカーに偏りが有りすぎるので、
適当に商品化してしまった感が否めないのである。
商品化の時期も、ロットも価格帯もバラバラで、
会社として売り込めるようなものに育たなかったのである。

その頃のF社の役員会議の最終結論は社長の訓示で終わるのが通例で、
「それぞれが、それぞれの立場でよく考え頑張ってください」だった。

もしあの時、社長が本気で取り組んで、

「いちばん商品を何としてでもブランドとして育て上げる」
「いつまでに対策室、もしくは委員会を発足させ、いつまでに商品化せよ」
「生活シーン、そして客層、グレードを明確にして統一しろ」
「対象とするお得意先(小売店)はこのような店を想定しよう」
「売り場のレイアウトや陳列、広告はこのようにしよう」
「イメージ、カラー、コンセプトを練り直せ、妥協するな」

などと具体的に議論を重ね、決定し、尽力を注いぎ、状況を見て修正し、
継続した努力を続けていれば、急速に落ち込んだF社の低迷は無かったのだろうと思う。
そのあと私が役員になって発言権を得たのだが、何をしても手遅れの状態だった。
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