稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

臨海合宿で歌った思い出、讃美歌312番の「なぎさのやしのみ」

2019年12月02日 | つれづれ
キリスト教には興味は無いが讃美歌は好きである。
310番「しずけきいのり」、167番「アメイジング・グレイス」、
239番「さまよう人々」、320番「主よみもとに」など、YouTubeで聴いていた。

312番「いつくしみ深き」の曲で「ああ、これは椰子の実の歌だ」と思った。

椰子の実は、島崎藤村の詩「名も知らぬ遠き島より・・」が超有名だが、
私にとっては、小学校の臨海合宿で配られた「なぎさのやしのみ」のほうが
今でも口ずさめる思い出のある歌であり歌詞である。
(ちなみにこの詩は他で見たことが無い)

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「なぎさのやしのみ」

あかるい月夜の なぎさにひとつ
はるばる流れて うちあげられた
やしのみやしのみ さびしゅはないか
夢にもみるだろ みなみのしまを

しらないおくには ザボンがにおう
なぎさのおふねと おはなししても
やしのみやしのみ ことばがちがう
そこでさびしゅて なおさらなける

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奈良女子大学文学部附属小学校では、5年生と6年生の夏、
福井県の高浜で、3泊4日の臨海合宿を行った。

今では高速を使って2時間だが当時はバスで5時間もかかった。

奈良から京都市内を抜け山陰線に沿って綾部まで。
綾部で方向を変え、舞鶴を通って高浜まで。バスの5時間はけっこう長い。
舞鶴を抜けたぐらいで海が見えると「海だ~!」の歓声があがる。
海の無い奈良の子供たちにとって海は憧れの存在だったのだ。

臨海合宿の班分けはクラスではなく所属するグループで活動する。
グループは、放送や図書、劇、音楽などがあった。

6年生が5年生を導く形で水泳を中心に城山や魚市場の見学などを行い、
夜には宿の外の海岸でキャンプファイヤーを行い全員で歌詞集の歌を歌った。


(全員に配られた臨海合宿のしおり)


(5年生の時に演劇のグループにいた)(Nameかと思ったら、Namaeだった)

夕食後、夜空に舞い上がる火の粉を見て全員で歌った経験は、
半世紀以上経った今でも鮮明な感激の記憶として焼き付いていて、
その後、バイクを使ってソロキャンプにはまっていた時期があったのも、
小学校の頃の、この臨海合宿のキャンプファイヤーが原点なのかも知れない。


(「なぎさのやしのみ」と「赤いかわの谷間(The Red River Valley)の歌詞」)

「なぎさのやしのみ」が讃美歌312番だとは知らなかった。
下の「赤い川の谷間」とともに、切なく哀愁のある曲である。
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