稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№121(昭和63年1月31日)

2020年06月10日 | 長井長正範士の遺文


〇私は脚本家の橋田寿賀子氏を日頃から大変尊敬しております。
氏は『核家族の中で育って、お年寄りと暮らす機会がなくなり、病人や、人の死を見る事も少なくなって、若者達は思いやりを失ってしまっているような気がする。青春のひととき、身障者や老人を看護する事で人間の弱さや、みじめさ、生命の尊厳や、死の意味を知る事は人間性を養う上で何よりのチャンスである。豊かさを過保護の中で育っていて不幸な人達を知らないだけに、貴重な体験になる筈である』と話されております。

われわれは人の身になって考え、人のために尽すことが判るようになって来た時に始めて人間として生きがいを感じ、心からよろこびをかみしめる事が出来るものです。私は皆さんの一刀流を通じ、私に期待して下さる熱意にほだされ、今週はこんなお話を来週はあんな話をしてと、一刀流の稽古を通じ、ああもしたい、こうもしたいと思い、原稿も書いたりしまして、皆さんにお応えすべく、私自身も勉強を続けております。これは何ものにもかえがたい皆さんという大きな目標があるためでありまして、大変自分の修養の糧になっております。若し皆さんという目標がなかったら恐らく勉強もしないし、原稿も書く事はないでしょう。皆さんあっての私があると思う時、自分は何と幸せな星のもとに生れたものと感謝の念を新たにしている者であります。

さて、今や日本は世界の長寿国として自認していますが、現在のような、物は足りても、心を忘れ去った愛や思いやりのない社会に生き長らえる事は、老人にとっては大変淋しい事と思います。せめてわれわれ剣道を修業する者だけでも、家庭の肉親愛をもって、先ず晨睦会で愛の輪を広め、地域社会に溶け込み、やがては日本民族愛に目覚めるような後進を育ててゆきたいと思います。私はいつも言っておりますが(№63に述べてあります)〇少年剣道の目的は、己れを愛し、親兄弟姉妹を愛し、家庭を愛し、友人知己を愛し、隣人社会を愛し郷土を愛し、やがては、日本の民族を愛し、この精神で広く世界の人類愛に目覚めてゆくところに意義があると思うのであります。

この大宇宙の真理を具現するのが剣道であるのですから、大自然をお手本にして、自然に帰るための剣道でなければなりません。自然を愛さない者は、自分の生活にも愛が欠けているのではないでしょうか。

今日もお互いに楽しく意義ある晨睦会(修道館の朝稽古会)の輪を広げるべく精進いたしましょう。〇以上、一刀流稽古に先がけてお話いたします。終り

〇年頭のご挨拶
国務大臣奥野誠亮。奈良県立畝傍中学第31回卒に当る→一高→東大卒。元文部大臣。私の畝中での2年先輩でよく可愛がって頂いた。その奥野先生が大阪で結成している奈良県人会=三山会(大和三山から名前をとった)で、年頭の挨拶をされ、特に『バランスを取りながらものを考え行動する』という事に重点をおいたお話なので、われわれ剣道する者はこの話の内容から何か一つでも感じとり視野を広める事が出来れば幸いと思いますので次に書いておきます。続く
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