稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.9(昭和59年11月5日)

2018年04月18日 | 長井長正範士の遺文
○剣道は精神の発露から考えなければならない。
ややもすると気を抜いた近間での叩き合い技術の末に走り易い。
これでは剣道とは言えない。
競技本意なら近間で当て合いしてもよいがそうではない。
剣道と言う限り先ず心得なければならないのは気合が大切であると言うことである。

気合とは心と肉体の合一(ごういつ)したものを言う。
例えば幼児がプールにはまりかけた時、危い!と思った時、
また自転車で角を曲がる出合いがしらに人が来た時、
危い!と思った時など「ハッ」とする。これが気合である。

掛け声は気合と似ているが少し違う。
即ち掛け声は心と肉体(気合)と技の三つが合一したものである。
さてそこで構えた時は下腹にうんと力を入れて一杯の掛け声を出す。
そうすると無我の境に入る。そこから勇気が生まれ集中力が備わる。
気合が一杯に入っているから邪念が無くなり、充実した気剣体の打ちが出る。
こうでなければ剣道とは言えないのである。

○掛け声の出し方について。
構えた時は下腹から出す。
甲手を打つ時は咽喉から出す。
面を打つ時は上腹(水月=みぞおち)から出す。
突きを突く時は下腹から出す。
胴を打つ時は腹一杯から出す。

(以下続く)

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