〇心については№61、62等に述べましたが、もう少し視野を広めまして№38、39、40にわたり日本保育科学研究所長の河合月海先生の「少年のやる気」のお説を書きましたが、引き続き先生が心について、専門的立場からお述べになっておられますので、少年剣道指導に携わっておられる皆さんに参考になると思います故、次に書いておきます。
〇生命を作り動かしているものは心である。ことについて、
心の見方にはいろいろありますが、先ず私達人間の心は四つのものから成り立っていると見てはどうでしょうか。図のように、中心部にあるのは「自然の心」。それを取り巻いて「植物の心」「動物の心」「人間の心」があり、この四つの心を人間がひとまとめにして持っていると言えます。例えば内臓を動かし呼吸をさせ、消化呼吸をし、血液を循環させ、体温を保ったりしてくれているのは「自然の心」と「植物の心」が主となっています。腹が減った、何か食べたい、水でも飲もうか、と手足を動かして動作するのは、主として「自然の心」と、「動物の心」が担当し、明日の事を考えたり、道具を工夫して作ったり、泣いたり、笑ったり、話したり、読んだり、書いたり、計算したり、と言った行動をさせているのは「自然の心」と「人間の心」とが担当しています。こう言うと、「どの行動にも、“自然の心”というのがくっついているのはなぜか?」と疑問を持たれるのではないかと思いますが、実は、植物、動物、人間のどの心も、みんな自然の心という根本の心から、木の枝葉のように伸び育ったものだからなのです。
子供の心を知り、人間の心を知るためには、何をおいてもこの根本の心である“自然の心”の形や性質を知っていなければなりませんが、それをひと口でいうと、“釣り合いたい”“安定したい”という形をしているのです。ですから植物の心、動物の心、人間の心も皆、バランスを取りたいという自然の心の原則をもととし、時、所などによって、いろいろと形を違えているだけなのですから、子供を育てるときには、心の釣り合い、体の釣り合いを崩さないということが最大の注意点と心得て頂きたいのです。例えば、活動と休息、眠りと目ざめ、タベルト排泄、話すと聞く、ほめると叱る、緊張と弛緩、等の釣り合いを常にとることです。これを崩すと、反自然、不自然な育児になってしまいます。
〇次に挙げたいことは、人間の根本の心は“二つ”あるということ。
先ずその一つは自分の思うままに、自由に楽しく生きたい、という自愛心、これを狐の心と言われています。もう一つは、皆と一緒に仲良く楽しく生きたい、という、他愛心、これを群れの心と言われています。とかく人間はこの二つの心のうち、狐の心の方ばかりに目を向け、群れの心の方には無関心のところがあり、すべてこの狐の心だけを持って生きていると思い込んでおります。然し、この狐の心というのは木にたとえると、枝や葉の方に当り、群れの心という根や幹に当たるものに支えられているものなのであります。昔から、“村八分の刑”という刑罰がありました。これは最も残酷で極めて重い刑罰であったのです。即ち“村八分”というのは一人の人間をみんなで仲間はずれにし、群れから追い出し、一人ぼっちにしてしまう刑罰ですが、こうなると本人は生きる源泉である群れの心が満たせなくなり、生命の危険を感じ、恐れと怒りが起り、それがこうじて、猛烈な絶望の世界に落ち込ませ、その心の苦痛は肉体の苦痛の何十倍、何百倍にもなるからであります。以下続く
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