
言うまでもなく、道場では常に観察している。
試合後の練習にどのように挑んでいるのか
自分なりに反省、検討しているのか
修正を受けて、これでいいの?というアピールをしてくるのか
という意思の観察。
こちらから言葉や指導を投げかけるだけではなくて、その結果は必ず確認しているつもり。
考えて練習している者は、指導を乞うために、自然と目につく場所で練習をしている。
また、他人に指導していることでも、自分のことに置き換えて、実践しようとする。
そんな選手と、何も考えずに練習している者、はたまた練習をさせられている者との差は大きいですよね。
でもって、自分は保護者も観察するようにしています。
子供が今、どんな課題があって、どんな指導を受けていて、どんな姿勢で取り組んでいるかを親が把握しようとしているか。
また、それについてどんな声を掛けているのか、それを子供がどう受け止めているのか・・等。
営利目的の学習塾等ではないので、一生懸命な者や、練習を見ている保護者の子供の指導にあたってしまうのは当然の事。
別に、練習中にコーヒーを飲みに行こうが、煙草を吸いに行こうが、たいして気にはなりませんが、子供達とは真剣に接しているので、選手や保護者が真剣かどうかは常に観察しています。
おかげで「違和眼」は鍛えられたような気がします。
あれ?何か急にやる気が出たな?
あれ?こないだの練習とは違う技を使ってるな?
あれ?家でかなり練習してるな?
あれ?何だか不満?不安?がありそうだな?
あれ?何か考えてるな?あれ?何だ?
という違和感を感じる眼。
何にしろ観察してたらいろんな事が見えてくる。
観察し、確認し、検証する。
この3Kは大事だな。