田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

からくり人形と田中久重

2018年09月04日 | 日々の出来事

 今年の1月に、市内でからくり人形の実演がありました。昨年、市が「文字書き人形」を購入したことを機に開かれたものです。いつかアップしようと思っていて、そのままにしていました。 写真は市の広報紙の表紙です。

 会場には多くの人が詰めかけていました。まずは、からくりの小手調べからです。「連理返り」というからくりで、人形が自分で階段を下りてきます。小学生の時、学校前の道路で小父さんが俵ころがしの様なものを実演していました。それに似ています。もちろん、小父さんは何がしかの玩具を買わせるのです。

 

 

  

  これは「弓曳童子」で本物はガラスケースに収納されています。扇形をした矢立に4本の矢があります。人形は順番に矢を取って的に放ちます。

 私が見学した日は復元品による実演でした。

 まず矢立から矢を取ります。

  これを弓につがえます。

  顔を的に向け、弦を引き絞り狙いを定めて

 的に向かって矢を放ちます。当たれば顔を上げて得意な表情をします。外れても同じように顔を上げ、悔しそうな顔をします。(表情は変わらず、そう見えるだけです) 

 一連の動作で4本の矢を次々に射ますが、動作にあわせて顔も上下左右に動きます。ほぼ百発百中で小さな的に当たります。

 次は「文字書き人形」です。これも復元品で、箱の内部をみせています。バームクーヘンのように見える円盤は、からくり機功の命でもあるカムです。一番左にあるゼンマイを動かす紐を一杯に引っ張ります。カムにより人形が色々な動作をします。

  文字書きをはじめます。筆に硯の墨をつけて書き、とめ、はらいなどのほか、筆圧もコントロールされています。さらに顔も細かく動き、筆先を追います。

  「寿」の文字を書きました。この人形は寿のほか、松竹梅の合計4文字を書くことが出来ます。

  「茶酌娘」はガラスケースに入っていました。

 この日は衣装をとって、内部が分かるようにした復元品が実演をしました。からくり人形の本物は、ときどきイベントで実演が公開されています。

  冒頭の連理返り人形以外の制作者は、「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重です。後の東芝の創業者の一人です。

 寛政11年に久留米藩のべっ甲細工の家に生まれ、幼い時から手先が器用でした。20歳の頃には近くの五穀神社の祭礼でからくりを実演していたといわれます。その後、肥前や大阪などでからくり興行を行います。からくり人形の最高傑作といわれる弓曳童子などを制作したのもその頃です。

 36歳になると、からくりから懐中燭台や無尽灯、そして重要文化財に指定されている万年自鳴鐘など、実用品の製作に取り組むようになりました。

 また佐賀藩に招かれて蒸気機関や大砲などの製作に携わるなど、技術者としての道を歩みます。明治になると政府の要請に応じて東京に移り住みます。そして銀座に工場を構え「万般の機械考案の依頼に応ず」との看板を掲げて電信機や電話機をはじめ、各種工作機械の製造販売を始めます。このときをもって東芝の創業とされています。

 発明好きな一介のからくり師が郷里を出て機械考案の道を歩み、日本の近代産業技術の基礎を築きました。

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「仁和寺観音堂」 千手観音... | トップ | 名水百選 うきは市の清水湧水 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々の出来事」カテゴリの最新記事