田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

九博から太宰府天満宮へ

2024年06月14日 | 日々の出来事

 今月初めの日曜日。太宰府天満宮へ出かけました。相変わらず人出が多いですね。インバウンドの効果があるのでしょう。外国人の団体はアジア系ばかりです。

 九州国立博物館のエントランスです。年間パスポートの有効期限が迫っていたので、折角だからと見学することにしました。

 館内工事のため当分のあいだ特別展はありません。ここは通常展示室です。

 「埴輪 武装男子」 伝群馬県天神山古墳出土 古墳時代

 「埴輪 盾持人」 伝東京都玉川地域出土 古墳時代

  「馬形埴輪」 福岡県カクチガ浦10号墳出土

 「武人形 石製表飾(石人)」 福岡県八女市岩戸山古墳 古墳時代

 武人が両手を挙げ、背中には矢を入れる道具「靫(ゆぎ)」が線刻と彩色で描かれています。岩戸山古墳は「磐井の乱」で知られている「筑紫の君磐井」の墓です。この石人は江戸時代の史学書に模写が残っています。当時は亀裂はなく、下半身もありました。

 石人は、元あった岩戸山古墳に安住することは出来ませんでした。八女市の郷土史家によると戦時中は何故か久留米の偕行社(陸軍の将校倶楽部)に置かれていました。戦後しばらくして久留米城の有馬記念館に移されたそうです。久留米市のHPでは所在地は市の文化財収蔵館となっていますが、いまはここに展示されています。

 偕行社は舞台付きのホールが併設された大きな施設で、戦後は市の公民館、図書館へと転用されました。私が小学生の頃、学校への通学途中にあって馴染み深い建物でした。ホールの柱廊外壁に大きな英語表示が薄く残っていましたから、進駐軍に接収されてダンスホールにでもなったのでしょう。

 「梵鐘」 太宰府観世音寺 飛鳥時代鋳造

 この梵鐘は大宰府に流された菅原道真が「都府楼はわずかに瓦色をみ、観世音寺はただ鐘声を聴くのみ」と漢詩に詠んだ鐘です。ガイドブックに「いまでも道真の時代の音を響かせている」とあり、数年前に観世音寺を訪れましたが、既にここに移されていました。

 この日は太宰府天満宮の花菖蒲を見に来ました。HPでは見頃とありましたが、少し早かったようです。五分咲きといったところ。

 

 天満宮へ参詣します。

 仮殿の屋根は林のようです。根元をどう処理しているのか気になります。

 絵馬堂の猿回しは見物人が多かったです。右のほうに棒の上に立つ猿がいます。良く訓練されていて、掛け声に合わせながら一気には登らず、見物人を焦らせます。芸人さんは、以前いたお爺さんから若い人に世代交代していました。

 この数日、急に暑くなりました。少々うんざりしています。大雨は困るけど、お湿り程度の雨が降らないものかと思っています。

 

 

 

 

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