田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

「武士の娘」 杉本鉞子(大岩美代訳) ちくま文庫

2024年07月25日 | 読書・映画日記

 

 武士の家柄に育った著者が、縁あってアメリカに移住し、当地の雑誌に連載した半生の記である。ただ、著者は訳者にこれは自伝ではないと言っている。

 杉本鉞子は明治6年、長岡藩の主席家老であった稲垣氏の三女として生まれた。長岡藩家老といえば維新当時、藩主に重用された河井継之助が知られている。著者の父は恭順派であった。彼女の幼少期は、まだ藩政の気風が色濃く残る中、士族が没落し北国でも開化の足音が高まってきた時代であった。折にふれ、母や姉から戊辰戦争の話を聞かされており、本書でも幾つかのエピソードが紹介されている。その中で印象に残った話がある。

 筆者の父は幽囚の身となるが、官軍の隊長は彼を高級武士として遇した。しかし処刑の日が来て、水色装束に身を包んだ彼は切腹の場へと向かう。新政府は赦免の決定をしていて、隊長も知っていた。だがこの時は伝令使が馬で駆けつけている途中で、その到着までは一切の形式を踏まなければならなかったという。

 事実かどうかは別として、この挿話を読んでいて、ロシア帝政時代のぺトラシェフスキー事件を思い出した。

 1849年、思想犯としてペトラシェフスキーを中心とするサークルが摘発され、死刑の判決が下される。この仲間に若きドストエフスキーがいた。刑が執行される当日、被告たちは群衆が見守る処刑場に引き出され柱に括りつけられる。そして、いざ銃口を向けられた時、ニコライ一世の使者がやって来て減刑状を読み上げるのである。これは皇帝の演出であり、残酷な芝居であった。

 ドストエフスキーは減刑されてシベリア流刑となる。この恐怖体験と流刑は後の彼の思想と文学に深い影響を及ぼした。ドストエフスキーの作品にはいろいろな形でこのことが語られているそうだが、私は読んでいない。

 「武士の娘」で語られる話とこの事件は随分異なっているが、死からの生還という構図は同じである。そういえば古典から話をとった太宰治の「走れメロス」という小説もあった。世界各地で似た神話や伝承物語があるように、人間の発想には共通性があるらしい。

 

 

 

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