HAYASHI-NO-KO

北岳と甲斐駒ヶ岳

昔、鉄ちゃんがいました また(国鉄編 気動車-1)

2020-07-14 | 番外編 鉄道など

国鉄編の内、気動車編

非電化区間の客車列車、貨物列車牽引の先頭だった蒸気機関車。
線路の規格で、大型の蒸気機関車の重量に耐えられない線区でも小型の蒸気機関車が配備されていたけれど
いつしかディーゼル車群に置き換えが始まっていた。
従来から気動車と言い習わしてきたのでページも気動車編とした。
特に分割・併合が簡単だったから線内全線、電化区間から非電化区間まで
幅広く活躍の場を広げて、特急列車用まで増え始めていた。
このネガからのスキャン画像の元になっている撮影年代は昭和30年代後半から45年頃までだから
まだまだ全国津々浦々に国鉄線路が張り巡らされていたし、多くのローカル線区と呼ばれていた線路では
非電化区間が大半だったから気動車群の活躍の場だった。


▲ 米子駅の西方にキハ07が留置されていた。後年、この場所は貨物の入れ替え基地?になった。▼













▲ キハ17 広島駅の朝 ▼



▲ キハ17・20混成の山陰線ローカル 京都駅 ▼









▲ 米子機関区のキハユニ20 ▲


▲ キハユニ15 加古川区 
加古川線・三木線運用のキハ30+キハ20、時折先頭にはキハユニ15が連結されていた。▼

▲ キハユニ15 荷物・郵便合造車で、半分が客室だった。▼



▲ 荷物・郵便合造車 キユニ17形 ▼


▼ キハ20系という呼び名は、当時の鉄道関連雑誌には正式な国鉄内での呼称では無く、
鉄道ファンが呼んでいる俗称に過ぎない…などの投書が続いていた。
何処にもマニアの多数意見への反論はあるものだと思ったことだ。 ▼

▲ 最初の山陰貧乏旅行の折、中原中也の記念館?を訪れ、そこで教わった同じ山口県出身の早世の詩人・金子みすゞを紹介して貰い
長門市まで足を伸ばし、盲腸線の終点・仙崎を歩いた折、始発まで時間があったので海とは反対の渋木に寄った。
まだ金子みすゞが世に知られるず~っと以前の話だから、釣り人たちだけが町中を歩いていただけの静かな町だった。▲



▲ 米子には何度も出掛けたから、機関区には何度出入りしたことだろう。キハ07は別の場所で何枚も撮った。▲










▼ キハ20は両運転台の強み、単独で短路線運用が可能だったから、加古川区に多く配備されていた。
メインの加古川線の他に、高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線などが細かく運行していた。▼







▲ 木次線運用だから、キハ20の寒冷地対策車のキハ52形 ▲

▲ 廃線になった高砂線・鶴林寺駅の20系DC キハ30の運用もあった。▼













▲ キハ20形は主に各停など短距離、キハ25形は準急・急行用に使われていた。▼





▲ 大阪寄りにキハ25、姫路寄りにキハ28だった頃。▲

▲ 最初期の画像、先頭はキハ25 途中にキロハ25を組み込んだ編成。▼



▲ 広島駅 ▲

▲ 東萩駅 ▲





▲ キハ23? 出雲市駅 ▲

▼ キハ30・35 ▼

▲ キハ35 関西本線 下は加古川駅、C11牽引の貨物列車と共に、加古川線などで運用。 ▼



▲ 西脇方面に運用されていた加古川線DC 先頭車は片運のキハ30形 ▼



▲ 山陽電車線路の下をくぐって高砂に伸びていた国鉄高砂線。単機だからキハ35 



▲ 加古川線・厄神駅を出て加古川に架かる橋梁に向かうキハ30、次は窓配置からキハ17と推測される。▲



























▲ 芸備線・三次駅 ▲
山陰均一周遊券を持って走りまわった当時、深夜の備後落合で何度も乗り換えして再度周遊券内に戻った。

それでも最初の頃は安心して?寝過ごし、広島まで行ったこともある。
再度周遊券内に戻るべく芸備線・三次まで辿り着いて、米子の礼ちゃんに電報を打った懐かしい?場所だ。

▼ キハ28・キハ58形 ▼
キハ28・58系と総称していたけれどこれも正式名称ではないそうだ。
キロ28形・キロ58形・キハ28形・キハ58形・キユ25形の5形式と北海道形のキハ56形、横軽仕様のキハ57形
及びその後の更新・改造車群も多く、私鉄譲渡も多かった。






▲ 真夏の萩を歩き回り、東萩駅に辿り着いたおりのキハ58形 ▲

▲ 広島駅早朝 ▼





▲ この跨線橋には何度足を運んだ事だろう。▼ 



▲ キハ25形の間に挟まれたキロ25形 ▲





▲ 米子・広島間に運行されていた「ちどり」 広島方はキハ25、米子寄りはキハ28・58が多かった。▼









▲ キハ58とキハ25の連結部 キハ28とキハ58は、搭載エンジンが1基と2基の差があり連結部上部の設備出区別していた。▲

▲ キロ28形 京都駅 ▼













































▲ 途中での分割・併合運用が可能だった気動車群。長大編成の「みささ・みまさか」には多種の車両が組み込まれていた。
先頭・大阪寄りはキハ25、後方の姫路寄りはキハ28で組まれていた。 ▼

▲ 明石・西明石間は、明石駅の高架化と合わせて複々線化工事が進んでいた。▼ 













▲ ディーゼル1基のキハ28、2基のキハ58 優等列車の主力として活躍。下は博多駅でのキハ58トップナンバー。▼



▲ 大阪駅に入る急行「白兎」 ▲

▲ 高架化前の明石駅に進入する下り急行「だいせん」 キハ28・58で編成されていた。▲











▲ 組み込まれているのはキハ65形式 ▲


以下の画像は昔、鉄ちゃんがいました また(国鉄編 気動車-2)へ移動した。
▼ 81系 ▼

▲ 鳴り物入りの登場だったがトラブル続出、短期間で82系に取って代わられた。▼


▼ 82系 ▼

▼ 優等列車専用?として製造されたキハ82系、電化・非電化区間またいで運用された。
遠くからでも独特のタイホンを耳にして、坂道を走って下りた高校時代…。▼
































▲ 日向・なは 併結部 ▼











▲ 真夏の東萩駅 山陰貧乏旅行の最初の夏 ▼
























ディーゼル機関車 Dはディーゼル、次は動輪の数でDは4、Eは5,Fは6を表す。
▼ DD13形式 ▼

▲ 鷹取駅配備のDD13は、構内で貨物の入れ替え作業専用に使われた。▼






▼ DD51形式 ▼
















▼ DE10形式 ▼





▲ DE10 上は広島、下は米子 ▲









▼ DE15形式 ▼

▼ DD54形式 ▼

▲ 米子のDD54牽引の急行だいせん ▼





▲ 米子と鳥取のDD54 ▼






▼ DF50形式 ▼



▲ 米子のDF50 Dはディーゼル、動輪数5を表す。▼









▲ 冬期の臨時列車 銀嶺だいせん 客車は12系 ▲









▲ ラッセル車先頭部 米子区 ▼



▲ 小規模の線路補修などに活躍していた事業用車群。▼






国鉄・土山駅が南に伸びていた「別府鉄道」。国鉄では無いのだけれど、ここに収録しておく。











▲ 島原鉄道・本諫早駅 ▲▲
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