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北岳と甲斐駒ヶ岳

昔、鉄ちゃんがいました。私鉄編3

2004-12-15 | 番外編 鉄道など

「昔、鉄ちゃんがいました」という名前のアルバムを、別ブログに上げていた。

山陽電車に関しては、二冊に分割してコピー出来た。
枚数が増えればいずれは分割される予定だけれど関西分、関東分を二冊ずつにまとめた。


土佐電気鉄道 路面電車
高知市電とは言わないようだが…。
有名なはりまや橋、どこに橋があるのか探さないといけない。
電車の停留所名は、確かにはりまや橋である。




土佐電気鉄道 国鉄高知駅前




松山市電 県庁前付近前方は、松山城。


旧神戸市電577号
前照灯周りの警戒色や、広告が目立つがそれを除くと、殆ど神戸時代のままに運用されていた。
756号は、ラッピング・カーとなって、全面企業広告が描かれている。

広島電鉄 軌道線と鉄道線の接続駅。
右は、旧神戸市電580号、左は旧大阪市電1616号で改番されて752号となっている。
車体塗色は、譲渡された時のままである。

旧神戸市電756号
大阪市電からの譲渡車両は全て改番されたが、こちらは神戸時代と同じ車番で走っている。


広島電鉄
戦時中(昭和17年)に製造された市内線での最古参車両。
651~654の4両が作られた。
ドア間に4枚の窓を持つ3扉車。
後方は、鉄道線直通運用されている2500形連接車。

広島電鉄 西広島駅
軌道線の市内電車と、鉄道線の宮島線に分けられる。
鉄道線の一部(新造された2000形連接車)は、軌道線に乗り入れている。
左が1050形1053、種車は、旧阪急供出、京阪100形111である。
右に留置されているのは1031形で昭和5年に5両製造された。
当初はH16~20の車番を持っていた。


広島電鉄 軌道線への直通運用が可能な2500形連接車。


岡山電気軌道 3000形
大半の市電はビューゲル集電だが、ここはパンタグラフを装備している。
岡電式パンタグラフと呼ばれ、独特の形状である。
別名のは、考案者の元社長の名前を採って石津式パンダグラフの別名がある。








京福・嵐山線
嵐電、らんでん。
四条大宮から、嵐山までの本線と、途中の帷子の辻で北野白梅町までの線路を持っている。
京都市電も健在だったが、こちらは単車、ポール集電。
その雰囲気が心地よかったし、何よりも周りの寂れた風情に合っていた。


神戸市電570形592号
国鉄神戸駅前から、湊川神社東側に延びる緩やかな勾配を上る。
線路は大倉山方面に延びていたが、廃止直前には楠公前までに縮小されていた。

神戸市電700形708号
神戸国際会館前をカーブして元町方面に向かう。

神戸市電800形801号 国鉄神戸駅前。
手前の交差点から、西への線路(新開地・長田方面)は、既に廃止されていた。
東へは、海岸通りを経由して三ノ宮方面への線路は残っていた。

神戸市電900形912号
生田神社の一の鳥居、三ノ宮・元町の中間辺りになる。

神戸市電900形946号
三ノ宮フラワーロードを元町方面にカーブする。 後方は、交通センタービル。

神戸市電1100形1102号
大橋九丁目交叉点から板宿方面に北上、国鉄ガードをくぐった辺り。

神戸市電1150形1151号
板宿から、大橋九丁目交差点に向かう。
国鉄ガードをくぐって直ぐ。周辺は 震災で壊滅的な被害を受けた場所。
尤も、神戸市電の全廃は昭和47年だから、震災の影響は受けていない。


このアルバムはOCN「ブログ人」に収録していたアルバムから抜粋、再編成したもの。
ポジからのスキャン画像なので、不鮮明な画像も含まれている。
画像下のコメントは原文のまま、撮影順にはなっていない。
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昔、鉄ちゃんがいました 私鉄編 -1 -2 -3 -4 -5 -6

昔、鉄ちゃんがいました 国鉄編 -1 -2 -3 -4


【その後に纏めた画像】



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