HAYASHI-NO-KO

北岳と甲斐駒ヶ岳

昔、鉄ちゃんがいました。国鉄編1

2004-12-08 | 番外編 鉄道など

中学時代に新聞を作っていた。
取材の折には、先生が持っていたカメラ(と言うよりも、写真機…だった)を借りていた。
その頃だったと思う。
神戸・大丸で土門拳の写真展を見た(記憶はかなり曖昧だけど)。
写真集「筑豊のこどもたち」を見たのがその時だったがどうかも不確かだけれど、
間違いなく白黒写真で表現された日常に圧倒された。
高校に入って、躊躇無く写真部に入った。
けれど、部活としての写真には飽き足らなかったから、町の写真屋のオヤジさんに教えて貰った。
頑固な人だし、ケチだったがフィルムは不思議なほど使わせてくれた。
何度も同じ被写体を撮らされたけれど、いつも公園の芝生広場で遊んでいる子供たちだけは撮り続けた。
『おもろい写真撮るなぁ~、そやけど狙い外れとる。子供に写真機意識させたらあかん。まだまだやなぁ~』
何度も顔を出していると、写真展の常連さんにも出合うことになる。
『我流ばかりじゃ、賞は貰えないよ…』、その言葉がきっかけだった。
賞が欲しくて写真を撮り始めた訳ではなかった。

それ以来、子供の写真も撮らなくなり、その人たちの集まる写真教室にも参加しなくなった。
せっかく手にしたカメラだったけれど、暫くは風景ばかりを撮っていた。
いわゆる絵はがき写真だから次々撮れたけれど、興味は無かった。
被写体に鉄道が登場するのはそれから暫く経ってからだった。
鉄道への興味は、ほぼ同じ時期に生まれた古典音楽鑑賞とともに、
自由奔放に暮らしていた高校時代のもう一つの趣味だった。
子供たちの明るさとは違って、無機質な電車に写真としての面白さは殆ど感じなかったけれど、
それでも級友たちとの話題作りには格好のものとなった。
おかげで、時間をかけた分、膨大な画像も残されている。
残されている画像にある物体の殆どは、淘汰されてしまっているものだけれど、
大袈裟に言えば青春の一時期、鉄道写真にのめり込んでいた証しには変わりない。

今でも、時折駅で電車を撮ることはある。
かと言って追いかけることはなくなっているし、新しい車両には殆ど興味も無いけれど、
今、植物にかけている時間と同じくらいに、鐵道趣味にかけていた時間を思い出している。


国鉄8620形1 芸備線三次駅構内。
78675は、当時中国鉄道管理局・安芸機関区所属。
同じ年の10.19には、天王寺鉄道管理局・和歌山機関区に転籍している。
まだまだ、真冬の中国山地、機関区の中で何枚も撮っている間は感じなかったけれど、
下りの米子行きに乗る頃には、カメラも冷え切っていた。
大学を卒業後、都会暮らしは私には出来ない…と、
米子に戻っていた友を訪ねて 訪れた山陰の冬だった。


国鉄8620形2
88651は、大正年間から製造が始まった8620形式の、最終号機。
昭和5年3月、日立製で同社製造番号は332となっている。
芸備線・使われていた殆どのSLは8620形、三次では2両を撮った。


国鉄C11形1
加古川線での貨物列車運用に使われていたC11 昭和15年 川崎車輌製造 (No.2380)


国鉄C11形2 米子機関区のC11261 米[米]
昭和45年当時、山陰線列車の多くはSL牽引だったから、
鳥取区、米子区、浜田区には多くのSLが休んでいた。
米子機関区には、三度お邪魔している。


国鉄C11形3
広島のC11 早朝の広島駅、通学専用列車として運用されていたスジがあった。
牽引機は、ほぼこのC11329 、同じ広島で二度撮っている。


国鉄C11形式図
たぶん、鉄道趣味誌(鉄道ピクトリアル、或は鉄道ファン)の付録か何かにあった 形式図を写したものだと思う。
手書きしたものを、湿式コピーに残し、後年、それを乾式コピーしたもの。
鉄道写真分冊のNo.1 加古川のC11・C12の中に挟んであった。
とにかく、一つのことに熱中し始めるとあれこれと深入りしてしまう悪い癖。
それでも、車を使ってSLを追いかけたりしたことはなかったし、鉄道模型にはまることはなかった。 車両の形式図を書くくらいだったから、殆ど画像も駅構内や機関区・電車区で撮っていた。
だから、資料の中にはずいぶん、車両番号のメモ書きが見つかる。


国鉄C12形
加古川駅構内の貨物入換え用に使われていたC12
大[加]所属のC12は、当時3両が在籍していた内の、C12167(No.749)である。
一両在籍していたC11とサイズは変わらないのだけれど、
排煙デフが無い分、こじんまりとした印象を受けるカマだった。


国鉄C50形
優等列車牽引で一世を風靡した名機C51の前身。
軽快な印象は、スポーク動輪。
たまたま、山陽本線と迂回ルート呉線との東の接続駅、
糸崎で 入換え作業中のC50154を撮ったのだが、
調べてみると、7月14日に北[小」から転入してきたばかりだった。
ここでの活躍はほんの数ヶ月、呉線の電化完成後の10月6日には、
僚機C5088と共に、天[亀]へ転出している。


国鉄C57形
山陰線・米子駅 上り臨時急行・だいせん銀嶺号 牽引のC5776は、米[米]所属、
左に、D51牽引の貨物列車が待避していた。
右端は、境港線のディーゼル、キハ26だろうか。


国鉄C58形
芸備線三次駅構内 上り貨物牽引のC58186 右は88651(8620形最終号機)


国鉄C59形
呉線経由の急行運用に供されているC59も、 間合い運用では普通列車牽引に回ることもあった。
上り624列車 徳山05:30 - 0812広島08:22 - (呉線経由) - 11:05糸崎
左は、下り急行403D青島 広島08:20 - (日豊本線経由) - 21:03西鹿児島


国鉄C62形
呉線経由の夜行急行の牽引は軸重の軽いC59形式だけでなく、
巨漢のC62も運用されていた。
下り301列車・急行音戸1号を牽引するC6217
新大阪23:02 - (呉線経由) - 05:50広島05:56 - 09:52下関
C6217は、広[糸」から、翌年稲沢区に転籍後、廃車となっている。


国鉄D51形1
構内は真っ白だった、昭和43年冬の北陸本線糸魚川駅
D51379牽引の北陸本線525列車 大阪20:06 - 07:46糸魚川07:56 - 14:00新潟
D51379 は金[糸]所属で、翌年暮れに廃車となっている。

別ブログに撮影当時の記憶を掲載した。


国鉄D51形2
D51牽引の普通列車 山陽本線・岩徳線運用の621列車
糸崎 05:32 -(呉線経由)- 08:41広島0858 - 10:09西岩国(岩徳線)
早朝の広島駅には、次々とSL牽引の列車が発着していた。


国鉄D51形3
米子機関区のD51 1129


国鉄DF50形
DF50牽引の普通列車。
貨物列車や、臨時列車はSL牽引、優等列車は、DD54牽引が主力だった。
その後、トラブルの頻発、出力不足などでDD54運用は無くなり、DD51牽引に切り替わった。


国鉄481系1
1975.125 新幹線博多開業で姿を消す、岡山口のつばめ・はとを撮りに出かけた岡山。
消える つばめ・はと を追って…の書き出して、こんなメモ書きが残っている。
冬の寒空の下で約3時間、新幹線自由席特急券を買いながら
100円高い指定席に平気な顔で座っていた二人は
「こんな寒い日でも電車を写してくれるありがたいファンに国鉄さんは 感謝状でも出すべきだ…」
などと勝手な事を言いながら、 時々電留線へもぐりこんだりしていました。
S.50.3.9で消えてしまう つばめ・はと、今度飛ぶ日は、何時なのだろう……。
つばめは、その後、九州内の特急として復活した。


国鉄481系2
岡山電留線の「はと」 隣には、「つばめ」も休んでいる。
右側にかろうじて写っているのは、51系直流電車。
当時既にローカル専用でしか走っていなかったけれど、 新性能の481系などよりはこちらの方を好んで撮っていた。


国鉄481系3
新幹線の博多開業を数ヶ月後に控えた冬。
「つばめ」「はと」の歴史的な愛称が、関西地区からは姿を消す事になっていたので、
当時の始発駅となっていた岡山に出かけた。
岡山電留線に入り込んで撮った画像には、懐かしい車両が残っている。
右の電車は、交直両用の451・453系で主に九州地区直行の急行運用に使われていた。


国鉄481系4
西明石駅通過の特急みどり。 新幹線西明石駅新設工事が始まった頃。
在来線をまたぐ駅が作られる予定になっていた。 既に、何本かの支柱が完成している。


国鉄481系5
特急しおじ運用で、181系も使われていた。
481系交直両用電車、60Hz用で、50Hz用は483系、その後区別の無い485系が登場している。
こだま形として登場した151系(最初の形式番号は90系)のスタイルを継承した。


国鉄481系6
須磨~塩屋間を走る481系みどり。
581系や、キハ181運用時代もあったみどり。
須磨海岸の線路は、現在も殆ど変わりない。



試運転クモヤE491-1


明石駅JR103系
和田岬線に残っている103系 検査入場のための回送車両だろう。


大久保駅の103系
昔だったら、苦もなく編成表を取り出して どの線区で運用されているものか調べただろう。
今は、編成表など手元にはないけれど、ネット検索と言う便利な道具がある。
キーワードさえ間違えなければ、いとも簡単に「103系3500台」で辿りつける。
網干区のH4編成 姫路寄り クモハ102-3504+クモハ103-3504 神戸寄り 播但線運用。


JR207系


JR321系


JR221系


明石駅JR221系


併結されたJR緩行線車両
新快速用として新造され今春から運用が始まった225系が、
普通電車運用として221系と併結されていた。


大久保駅のマルチプル・タイタイパー

大久保駅のマルチプル・タイタイパー+バラストスイーパ

画像下のコメントは原文のまま、撮影順にはなっていない。
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【その後に纏めた画像】



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