渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

2004年の内的独白

2022年02月25日 | open



その日、その男は様子が変だった

訳ではない。
大阪生まれ育ち、仕事仲間で
気の置けない仲の男だ。

見るからにホクホク顔で週末の
試合会場に私と共に赴いていた。
地方の町の小さな撞球ハウス
トーナメントだ。
だが、試合開始前に店のオーナー
の振る舞いに男は憤慨し、試合を
実質的に放棄した。
実はかねてより店のオーナーの
言動についていろいろ思うところ
があったのは私も一緒だった。
このところその店の集客率が
極端に落ちている。
深夜、私と二人だけになった時、
オーナーがまた始めだした。
私は言った。
「そんなに客の陰口悪口ばかり
言ってるとだぁれも客が来なく
なるよ」
しかし、オーナーはその場に
いない人の悪口を片っ端から
始める。
きっと私もいないときは言わ
れているのだろう。
中国地区はそんなのばっかだ。
それだけではない。
接客以前に、自分中心の言動
が甚だしく、唯一日参していた
常連客たちも実は辟易していた
のだ。
常連客同士はとても仲がよい。
まさに紳士の競技、ビリヤード
の客たちだ。
ただし、人としての資質とか
私がとやかく言えた義理では
ないが、その店のオーナーに
は、幾度も苦汁をなめさせら
れた経験を私も持つ。
しからば、何ゆえにその店に
常連客は来るのか。
台とボールとチョーク(すべり
止めの青色の四角い物体)の手
入れが素晴らしいのだ。
これほど手入れが行き届いた店
は多くはない。
私は、朝一番で台を隅々まで
丁寧に掃除し、ボールも台も
プレーを終えて客が離れるたび
に磨き上げているオーナーの姿
を見ている。
それは店として当たり前の事なの
だが、やはり素直に見るとビリ
ヤードが好きなのだろう。
だが、人づきあい、客商売は
向いていないかも。
あまりにも自分のことだけに
興味がある人(=他人の精神
状態とかにはお構いなしで自分
の希望だけを常に相手に求める
あって、自分中心の世界の
住人
だからだ。
人に対して、店の中でそれを
やらかす。
玉のことだけでなく、人のあり
方までどう聞いても独善的な
ところで言う。
まあ、地方なりではあるのだが。
それを言われたほうは「今は
黙っていてくれ」と応える。
すると、その対応を捉えて、
オーナーは「俺のことをないが
しろにした」と言い切り、「もう
(あんたは来て)いらん」と
切って捨てるのだ。
そういう事を本当に客に言う。
聞いていて「うっそ?」とか
思った。
それで「最近集客率が悪いけど、
どうしたらよいだろう」と相談
されてもこちらが困る。
いろいろアドバイスしても聞く
耳持たないし、返って助言した
こちらが他の人に対して悪者
にされて言われるのは経験済み
だ。

そして、その男は試合前の
オーナーの態度にキレて、
すべての球をドカン撞きして
試合を投げた。
どんな事情があるにしろこれは
赦されざることで、対戦相手に
失礼だ。
試合途中で諭したが、これまた
この男も人の言うことに耳を
貸さない。ヤカンから湯気出てる。
やれやれ。
だが、オーナーとは違い、アド
バイスした者に対して「私に
嫌なことを言った」というよう
な逆ギレでグチグチと執拗に
絡み返すことはしない。
男は、
「もう二度とこの店には来ない」
と言う。
言ったそばから、貯めていた
数時間分の無料券を人にあげて
しまった。

さて、深夜1時過ぎに試合は
終わった。
閉会の後、半年通い詰めて懇意
になっていた常連たちを私が
初めて食事に誘った。
実は、その男の気持ちを周りの
参加者の連中は察していて、
私の誘いにあれよという間に
14名がついて来てファミリー
レストランに行くことになった。
席について古老の常連が言う。
「きょうは○○ちゃんの送別会
になっちゃったなぁ」
優勝、準優勝、3位に入賞した
人も席にいた。
彼ら3人は、大会の賞金を
ここでの飲食代に放出すると
いう。漢あり。

食事の合間の会話は、周囲は
その男をなぐさめることは
しないが、発言や振る舞い
から各々方の彼への気遣いが
感じられた。
これは「不満を組織する」と
いうような変な仲間意識の
ような類のものでなく、独立
した諸個人がそれぞれ彼に対し
て気遣いをしていたのだ。

朝4時を回る頃、古老が
「よし。玉でも撞きに行くか」
と言い出した。
来たよ、これ(笑)。
数時間後に仕事がある人間を
除き、全員が別の店に繰り出
した。

国際的に海外からも選手を
招いて試合を開催した事の
ある店だ。エフレンとか。
その店の入り口付近の壁に、
その店主催の大会の成績が
厚いアクリル板で掲げられて
いて、見るとの1998年の
準優勝の欄に私の名前が刻
まれていた。
私はこれまで遠い過去にキュー
を一度置いている。玉撞きを
やめた。賭けてはいけないもの
を賭けて。
SA相手の大勝負には勝ったし、
賭けたものも得た。
だが、構造も人間関係も根本
から
瓦解した。そして、一度
玉をやめた。
映画「道頓堀川」のような勝負

だった。

2004年の2月からは、大阪の
友人に請われて
ぼちぼちと
また撞き始めたのだった。
その男は自分のキューを自分で
新調
し、黙々と球撞きを勉強
して
来た。
教えてくれと請われたら私の
知る事をすべて
教えた。
みるみる上達して、マスワリ
もたまに出るようになった。

別な店では、プロを交え、
夜がすっかり明けるまで
楽しく撞いた。

店を出て、駐車場で手を振って
みんなに別れを告げたその男は、
車まで戻ると沈むように乗り
込み、見ているとすぐに大イビキ
で眠りだした。
私も、私の車の運転席で男ども
の心意気を思い出しながら、
それに浸るように穏やかに目蓋
を閉じて仮眠する事に
した。
撞球師の多くがそうして束の間
だけ眠るように。


そうそう。
件の店のオーナーは、お客さんの
女子中学生に強制わいせつ行為
をして逮捕されて新聞に載って
いた。


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