渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ネオレトロ

2021年04月07日 | open
日産パオ(1989〜1991年)
 
日産パオは、1960年代のルノーのような
オールドスタイルがウケて大人気だった。
この頃、四輪車も二輪車も今でいうネオ
レトロのスタイルの車が出始めた。
よく巷間、人口に膾炙されるのは、人々
が高性能化した車についていけなくなった
から、というような事がまことしやかに
言われる。
私はそうではないのではと思う。
時はバブル真っ只中だ。
あのバブル経済時代の市場構造を知って
いれば、そのような見方はできない。
新たなネオレトロ的な車両が登場したの
は、作り手のほうの手駒が各社で同一方向
化してしまい、飽和状態にあったからだ。
そして、おりからのバブル経済による価値
観多用化の徹底という社会背景を受けて、
それに見合ったニュープランで新たな市場
開拓としてネオレトロは提案された。
要するに、メーカーの戦略的な「仕掛け」
なのだ。
よく言われている「人が疲れたから旧式
を求めた」というのはあまりにも観念的
で産業経済的な視点を欠いた的外しだ。
しかし、二輪ジャーナリズムなどはほぼ
全域がそのような書き方をする。
本末転倒だ。
まず、企業側の戦略と具体的な行動があっ
て、それが市場を形成できたかどうかが
来る。
それを結果の成功のみを捉えて、その機種
の人気向上の現象のみを言っても、それ
は、なぜその車が出て来たか、という
説明
にはならないのだ。
飽和状態の中での新規市場開拓、というの
が産業の中での企業戦略だった、そして
何でも最新、最新を求める大衆は、最新の
「古いスタイル」に惹かれた、というのが
本当の図式だった事だろう。
それまでにはなかった市場開拓パターンだ
ったし、それはまさに「真新しい市場開
発」そのものだったのだ。
80年代のその手法が成功することを知った
自動車産業界は、たびたびその手段を時折
使って市場活性化を図るようになった。
四輪車メーカーもそうであるが、特に二輪
車メーカーがその方法をよく使う。
直近でもまさにそのパターンで新車を発表
している。それが人気を博す。
それは決して、買い手側が「疲れたから」
ではない。価値観の多用化が開始された
30数年前の時代に産業界がそれを取りこ
ぼししないように採った戦略と戦術が成功
をみたので、自動車産業界の中で一つの
ビジネスモデルとして定着したからなの
だ。
それゆえ、時を見て、ありきたりの物の
ラインの中に加える事で市場形成を図る
戦術が実行されている。
ありきたりの時期がある程度続くと、古い
スタイルが「新しい物」として機能する事
を自動車産業は80年代に知ったからだ。
そして、人々は新しいその企業生産物を
待っていたと受け入れる。
二輪産業においては、ヘルメットやギア
についてもその手法が作り手によって採ら
れる。
産業構造としては頑としてその構造が存在
する。
 
だが、最新の安全技術やメカニズムがそこ
に投影されている車両は、見た目が古いだ
けで最新の真新しい物だ。
その古い見た目を保ちつつ最新技術をそこ
にいかに反映させるかに製作開発陣の手腕
の如何がみられる。
それは見ていて楽しいし、真に時間的に
古い物を知る人たちには新旧の差異の体感
さえもが「楽しみ」として付加価値にな
る。
そうしたコンセプトとして、「ネオレト
ロ」は有機的に人と企業を繋いでいる。
「価値ある一品」であるといえる。
 
古いスタイルになぜか温かみを感じると
いう人の感性は、一体何に基づいている
のか。
それは、時の流れの中で多くの人間的
良的部分が喪失される事を人が無意識の
うちに感じているからではなかろうか。

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