渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

撞球物語 〜実話〜

2022年11月30日 | open
 


これはある日本人撞球師の実話
ある。
彼はかつてロスアンゼルスに在
し、UCLAに通っていた。
その頃に行ったバーにコイン式
ビリヤード台が置いてあった。
1ゲーム25セント。
ロスでは勝ち抜き戦方式で台を
占有できる。
日本でも、大人数の時には勝ち
抜きで勝った者が続けて次の
ームを撞けるというローカル
ルールでプレーする事もある。
また、日本でも少し小ぶりの7
フィートのコインテーブル
横浜や横須賀など米軍基地
が多
い街には飲食店にはよく
ある。
この7フィート台は狭いから
かというとそんな事は
なく、
の上が玉で渋滞す
るので結構
しい。7フィー
ト台での正式
試合もアメ
リカではある程だ。
そして、コイン台は1ゲーム
ごと
にコインを1枚入れる。


手玉落としのスクラッチではど
う処理するかというと、昔の台
は手玉がわずかに大きく、他の
カラーボールと機械的に区別で
きるようにしていた。小さな
的玉のみが内部のレールから落
ちてプールされる。手玉はレール
下には落ちずにレールを通って
手玉戻しの窓に戻って来る。
今は手玉に磁石が仕込まれていて、
玉の大きさは全部同じになった。
 
勝ち抜き戦なので、アメリカでは
次の挑戦者がクォーターコインを
台に入れて玉を全部出して揃える。
その日本人撞球師は撞球師である
ので勝ち続けた。玉撞きは本
格派
であり素人ではない。
バーで寛ぐ
酔客負ける事な
どはない。
撞いて勝ち残り、撞いて勝ち残り
の繰り返し。
店内の場も盛り上がって来ている。
大勢の客は大騒ぎだ。
8連勝程した時に、撞球師は調子
に乗ってやってしまった。
映画『ハスラー2』のビンセント
(トム・クルーズ)を真似て、両手
でキューを掲げて派手に喜ん

見せたのだ。


すると、奥のほうから声だけが
聞こえて来た。
野太いドスの効いた声で。
"How much?"
 
いえ、結構ですと断って撞球師
その場を早々に立ち去った。
くわばら、くわばらである。
その撞球師は、かろうじて難を
逃れる事ができた。囲まれなかっ
たのは幸いだった。
下手に乗ったら、絶対に仲間が
いつの間にか出て来て囲まれる。


流しのプールシャーク(賭け玉の
ハスラー=ゴト師)は見つけれ
ただではおかれない。
下手したら指を折られるだけでは
済まない。
ポール・ニューマンの実話として、
映画『ハスラー』(1961)の役作
りの為に大学施設や街の玉撞
き場
でカツラを被って変装し
て練習し
ていたら、賭け玉を
やろうと寄
って来た街の者
いたという。
本物のハスラーだとすぐに気
て、挑戦は受けなかった
尋ねて
みたそうだ。
「もし、俺が勝ったら?」と。
するとそのハスラーは答えた。
「あいつが次に来る。
その次は扉の所のあいつ。
その次はあいつ。
それでも勝ったら、また別な奴
が来る。全米からでも」
ニューマンは冷や冷やもので
その場を去ったという。
完全に丸裸にむしり取られるま
で執拗にたかられるのだ。逃げ
る事は赦されない。下手をした
ら命も奪われる。
バクチの世界はどこもそのよう
だ。
日本の丁半賭博もそう。
この画像を昔の事と思ってはい
けない。今でも、東京大阪京都
だけでなく、地方都市には違法
地下賭博場がある。すべて暴力
団の資金源となっている。都内
にはかつては芸能人御用達の雀
卓部屋があった。レートはハコ
で30万。有名芸能人の多くが顧
客だった。完全なる秘密地下違
法麻雀賭博部屋である。
なお、合法店舗である雀荘は
今でも現行の賭博場となってい
る。金を賭けずに麻雀をする
が雀荘に来るのを私は知らな
い。日本人のほぼ全員がバクチ
ぶちをしているのが麻雀だ。
 
日本のそうした博打場を古来から
鉄火場と呼んだ。
そこでつまむのが鉄火巻き。
カードバクチをやりながら何か
食えないかとサンドイッチ公が
考案した食べ物のサンドイッチ
と全く同じ状況で鉄火巻きは
された。
洋の東西、時代を問わず、博打
は質性が似て来る。
危ない、危ない。
友人同士で昼飯を賭けたりする
のは法的にも賭博にはならない。
だが、金員は多寡によらず賭け
るのは賭博行為となるとの大審
院判例が日本にはある。
そして、バクチは、金こそを全能
の第一位価値観とするものであり、
人間を人間ではなくさせる力を持
つ。
危ない、危ない。

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